閉伊頼基 神社の神様 - 神社ファン

閉伊頼基

へいよりもと

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • 武人

平安~鎌倉 [~1220年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 閉伊頼基とは?

    閉伊頼基(?-1220)は、平安時代末期から鎌倉時代前期の武将。閉伊氏の始祖。盛岡藩の「参考諸家系図」によると保元の乱で敗北したことにより伊豆に流された源為朝の三男と伝えられているが、他の証拠が存在しないため、事実とは異なる可能性が高い。「参考諸家系図」の他にも「奥南落穂集」、「東奥古伝」などに頼基の記述がある。それらによると、伊豆大島出身である母とともに頼基は伊豆国を抜け出し、三陸海岸に流れ着いた末に奥州合戦で下向した源頼朝に拝謁した。そして頼朝に命じられて佐々木盛綱またはその弟・高綱の猶子として佐々木十郎行光を名乗り、奥州藤原氏が滅亡したのちの閉伊郡、気仙郡の統治を任されたという。その地名から閉伊頼基を名乗ったのが、閉伊氏の祖である由縁と言われている。しかし、これらの事実を裏付けるような史料は見つかっておらず、少々信憑性に疑問が残る。兜神社の由緒によると、頼基は1220年に63歳でこの世を去ったと伝えられている。 岩手県の下閉伊郡山田町船越にある荒神社、釜石市浜町にある尾崎神社は頼基を主祭神として祀っている。また、宮古市区界第2地割にある兜神社は頼基が死去した際に殉死した家臣を御祭神として祀っている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    荒神社
    (岩手県山田町船越17-13)