盛岡天満宮 - 神社ファン

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盛岡天満宮

もりおかてんまんぐう

岩手県盛岡市新庄町5-43

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岩手県盛岡市新庄町5-43

かんたんご利益

  • 学業
盛岡天満宮には

「学業・技芸系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

受験合格 学問成就

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

天満・天神系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

天満宮は岩手県盛岡市に鎮座する神社。御祭神は菅原道眞公の1柱をまつる。
創建年代は明らかでない。盛岡城が築かれた当初、天満宮は四ツ家と寺町の間に鎮座していた。寛永2年(1625)に紙町川下町の裏手にあった大手堀の上へ遷座し、寛文6年(1666)には笹森山へ移された。
正保3年(1646)、筑紫安楽寺の住侶で菅家第28世の子孫とされる大鳥居信幽法眼は、夢で得た霊感をもとに、太宰府の飛梅の古木から菅原道眞公の尊像2体を彫刻した。1体は武蔵国亀戸に安置され、現在の亀戸天神社の御神像となった。もう1体は寛文2年(1662)5月に陸奥国へ運ばれ、中津川のほとりにあった天満宮へ安置された。
寛文元年(1661)、盛岡藩主南部重直は新庄花垣館跡に鹿島神宮の御分霊をまつる御旅所を建立した。鹿島神社は明治4年(1871)に焼失したが、現在は盛岡天満宮の境内社として武甕槌大神をまつっている。
延宝7年(1679)、現在の盛岡八幡宮の造営に伴い、天満宮は笹森山から新庄村花坂舘へ遷座した。以後、盛岡藩主の崇敬を受け、学問や文筆、病気平癒を願う人々の信仰を集めた。
明治36年(1903)6月、高畑源次郎は病気平癒祈願成就の礼として一対の狛犬を奉納した。石川啄木は学生時代に境内をたびたび訪れ、小説『葬列』や短歌に狛犬を「石馬」として描いている。昭和8年(1933)には狛犬が啄木の歌を刻んだ台座へ移され、現在も歌碑の上に据えられている。
境内には本殿、拝殿のほか、平安稲荷神社と鹿島神社が鎮座する。境内には撫牛、飛び梅、石割梅、銭湧石、弁慶岩、石碑、歌碑なども残る。
毎年、どんと祭、夏越の大祓、天神祭、鷽替え神事などが斎行されるほか、合格祈願、厄除け、病気平癒、初宮詣、七五三詣などの祈願も受け付けている。
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神社詳細

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出典
岩手県神社庁
https://www.jinjacho.jp/