明治天皇御聖跡碑・御聖像・米内光政銅像・田村了咲句碑・巌鷲山(岩手山)石碑 | 盛岡八幡宮 - 神社ファン

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盛岡八幡宮

もりおかはちまんぐう

岩手県盛岡市八幡町13-1

明治天皇御聖跡碑・御聖像・米内光政銅像・田村了咲句碑・巌鷲山(岩手山)石碑

更新日:2026年1月1日

明治天皇御聖跡碑・御聖像

盛岡八幡宮の境内には、明治天皇御聖跡碑および明治天皇御聖像が建立されています。これらは、1876年(明治9年)に行われた明治天皇の御巡幸を記念するものです。
明治天皇はこの地で、県内産の南部駒およそ400頭を御覧になったと伝えられています。この出来事にゆかりのある場所として、盛岡八幡宮境内が御聖跡とされています。
明治天皇御聖跡碑は、1940年(昭和15年)に建立されました。また、明治天皇御聖像は、1975年(昭和50年)に建立されています。碑と御聖像は、それぞれ建立年代は異なりますが、明治天皇の御巡幸という同一の歴史的事実を後世に伝える目的で設けられたものです。
これらの御聖跡碑および御聖像は、盛岡八幡宮境内において、明治天皇の御巡幸と南部駒に関する出来事を今に伝える記念物として大切に守られています。
明治天皇御聖跡碑・御聖像

米内光政銅像

盛岡八幡宮の境内には、盛岡出身の米内光政の銅像が建立されています。米内光政は、連合艦隊司令長官、海軍大臣、内閣総理大臣、そして二度目の海軍大臣と、数々の重職を歴任した人物です。
米内光政は「至勇沈勇の良識の提督」と称され、終戦に尽力したことで知られています。多くの人々から信望を集めただけでなく、昭和天皇からも厚い信頼を受けていた人物であることが伝えられています。
この銅像は、盛岡の地に生まれ、国の命運が大きく揺れ動いた時代に重責を担った米内光政の足跡と精神を後世に伝える存在です。盛岡八幡宮の境内に建立されていることで、地域の歴史と人物を顕彰する場としての役割も果たしています。
参拝者は本殿参拝とあわせてこの銅像に立ち寄り、盛岡出身の人物が歩んだ道と、その時代背景に思いを巡らせることができます。
米内光政銅像

田村了咲句碑

盛岡八幡宮の境内には、俳人・田村了咲の句碑が建立されています。
田村了咲は、1907年(明治40年)に盛岡市に生まれた俳人です。1927年(昭和2年)に俳誌「ホトトギス」の同人となり、その三年後には、山口青邨が主宰する俳誌「夏草」において名句を発表しました。
盛岡八幡宮に建つ句碑には、「芹の水満つることなく減ることなく」という一句が刻まれています。この句は、静かな自然の情景を通して、変わらぬものの存在を詠み取った作品として知られています。
この句碑は、盛岡に生まれ、俳句の世界で足跡を残した田村了咲の業績を今に伝えるものであり、盛岡八幡宮境内における文化的な見どころの一つとなっています。参拝の際には、境内を歩きながら句碑に刻まれた言葉に触れ、俳人の感性に思いを巡らせることができます。
田村了咲句碑

巌鷲山(岩手山)石碑

盛岡八幡宮の境内には、巌鷲山(岩手山)を刻んだ石碑が建立されています。
この石碑は、1848年(弘化5年)に、この地方の修験者を代表する人物である自光坊の屋敷に建立されたものです。その後、1893年(明治26年)に八幡町の人々によって盛岡八幡宮へ遷され、現在は境内に安置されています。
巌鷲山石碑は、建立当初の場所から現在の盛岡八幡宮へと受け継がれてきた歴史を持ち、地域の人々の手によって守られてきたことがうかがえる存在です。盛岡八幡宮の境内において、近代以前の信仰や人々の営みを今に伝える石碑の一つとなっています。
巌鷲山(岩手山)石碑

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