摂社 笠森稲荷神社・神明社・末社 梅宮 | 盛岡八幡宮 - 神社ファン

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盛岡八幡宮

もりおかはちまんぐう

岩手県盛岡市八幡町13-1

摂社 笠森稲荷神社・神明社・末社 梅宮

更新日:2026年5月6日

笠森稲荷神社

盛岡八幡宮の境内に鎮座する摂社の笠間稲荷神社は、八幡宮が建立される以前から、八幡山の山頂に祀られていたと伝えられる古い由緒を持つお社です。盛岡八幡宮の御社殿が整えられる以前からこの地を鎮めてきた神さまで、地主神としても崇敬されてきました。
笠森稲荷神社 鳥居
御祭神は宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)で、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全の御神徳で知られています。歴代南部藩主から城下の庶民に至るまで幅広く信仰され、盛岡の地に根付いた稲荷信仰の一つとして大切に守られてきました。
笠間稲荷神社は、もともと八幡山山頂に鎮座していましたが、昭和32年(1957年)に現在の盛岡八幡宮境内へ遷座されました。その後、昭和35年(1960年)9月、笠間稲荷神社崇敬講の人々によって現在の社殿が建立されています。例祭は毎年8月8日に斎行され、昭和32年ごろまでは八幡町の人々を中心に行われていましたが、昭和35年以降は崇敬講によって受け継がれています。
笠森稲荷神社 社殿
笠間稲荷神社は、五穀豊穣や商売繁盛に加え、「できもの(瘡)」の守り神としても信仰を集めてきました。江戸では、徳川家康が瘡病に苦しんだ際、谷中の感応寺境内にある笠森稲荷に祈願して全快したという伝説が知られており、盛岡の笠間稲荷神社でも、同様にできもの平癒を願う信仰があったとされています。このことから「瘡守(かさもり)」と呼ばれることもありました。
社名については、かつて「笹森」と呼ばれていたとする説や、彌吾郎長者の守り神であったとする伝承も伝えられていますが、いずれも確かな史料によって裏付けられたものではなく、詳細は明らかになっていません。また、全国に点在する笠森稲荷・笠間稲荷のいずれの分社であるかについても不明とされています。
笠森稲荷神社 狐像

神明社

盛岡八幡宮の境内に鎮座する摂社の神明社は、家内安全や身体健康をはじめ、国土安泰、福徳開運、勝運守護の御神徳で知られる末社です。御祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)で、「お伊勢さま」とも親しまれてきました。
神明社 鳥居と案内版
神明社の創建は古く、延暦の頃(約1200年前)、坂上田村麻呂が賊徒平定の後、この地の人々を教化するため、伊勢神宮内宮にならって盛岡の仁王の地に建立したと伝えられています。その後、中野館、煙草丁(生姜丁)などへと社地を移しながら信仰が受け継がれてきました。
江戸時代には、現在の盛岡市内にある「神明町」に鎮座しており、この町名は神明社に由来するとされています。神明町はかつて「生姜町」とも呼ばれ、神明社の祭礼の際には参道で生姜を商う習俗がありました。「生姜は穢れを去り、神明に通ず」という意味があるとされ、現在でも例祭には生姜をお供えする風習が残っています。
神明社 御社殿 正面
明治3年(1870年)に盛岡八幡宮境内へ遷座し、さらに昭和43年(1968年)に現在の社殿が再建されました。現在は、盛岡八幡宮の境内社として、笠森稲荷神社などと並んで鎮座しています。
例祭日は毎年8月8日で、神明社の祭礼や行事は盛岡八幡宮の年間行事の一部として行われています。七夕祭りや夏祭りなどの季節行事の時期には、多くの参拝者が訪れ、家内安全や健康を願って手を合わせる姿が見られます。
神明社 御社殿 横

梅宮

盛岡八幡宮の境内に鎮座する末社である梅宮は、京都の梅宮大社の御分霊を祀る末社です。京都の梅宮大社は、古くから子孫繁栄・安産・醸造の守り神として信仰を集めてきた神社で、その信仰が盛岡の地にも勧請されました。
梅宮 鳥居
梅宮の創建は寛保元年(1741年)と伝えられており、安産・子孫繁栄の守り神として、地域の人々から崇敬されてきました。その後、文化9年(1812年)には、郷土の名工である藤田善兵衛秀章と弟の善蔵情有によって社殿が建立されたことが確認されています。
さらに時代が下り、平成27年(2015年)に現在の盛岡八幡宮境内へ遷座され、現在の位置に鎮座しています。このように梅宮は、創建以来、時代に応じて社殿や鎮座地を変えながら信仰を受け継いできた末社です。
梅宮 社殿全体
例祭は毎年4月3日に斎行されます。かつては盛岡市内の産婆たちが中心となって祭礼を執り行っていましたが、現在は盛岡八幡宮敬神婦人会によって受け継がれています。安産や子育てに関わる人々の信仰と深く結びついてきたことがうかがえる祭礼です。
梅宮 社殿の鳥居

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