有名度
前頭三戸大神宮
さんのへだいじんぐう
青森県三戸郡三戸町同心町字諏訪内46
青森県三戸郡三戸町同心町字諏訪内46

かんたんご利益
- 仕事
三戸大神宮には
「仕事系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家隆昌 生命力向上 五穀豊穣
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「伊勢・神明系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
三戸大神宮は青森県三戸郡三戸町に鎮座する神社。御祭神は天照皇大神の1柱をまつる。
社伝によると、三戸大神宮は元亀元年(1570)、伊勢神宮から天照皇大神の御分霊を勧請したことに始まる。御分霊は箸木山にまつられ、神明社または神明堂と称した。
万治元年(1658)、三戸町の有志が箸木山に社殿を建立した。元禄元年(1688)には、南部家家臣の藤枝宮内が毘沙門館を奉納し、社殿が現在地へ建立された。
三戸大神宮は南部藩主の崇敬を受け、明和元年(1764)12月には藩命により御普請奉行・奥山左衛門が社殿と神楽殿を造営した。
文政9年(1826)8月には、南部家第38代当主・南部利済が大神輿と御紋幕を奉納した。大神輿は現在も保存され、神輿渡御は三戸秋まつりの神事として受け継がれている。
明治時代に神明社から三戸大神宮へ改称され、神仏分離後は旧正智院跡に祖霊社が設けられた。
昭和62年(1987)には神明造・銅板葺の新社殿が完成し、手水社、絵馬殿、皆集館も整備された。
境内には本殿、拝殿、神楽殿、祖霊社などが建つ。社殿や手水社には組子細工を取り入れたステンドグラスが設けられ、手水社には令和5年(2023)に新たな作品が設置された。
境内社の市神社は三戸宿の検断を務めた川村惣太郎をまつり、境内には旧会津藩士・杉原凱の墓も残る。
祭事は6月30日の夏越大祓式・茅の輪神事、9月13日から15日までの神輿渡御祭・三戸秋まつり、毎月1日のおついたち参りが行われている。
社伝によると、三戸大神宮は元亀元年(1570)、伊勢神宮から天照皇大神の御分霊を勧請したことに始まる。御分霊は箸木山にまつられ、神明社または神明堂と称した。
万治元年(1658)、三戸町の有志が箸木山に社殿を建立した。元禄元年(1688)には、南部家家臣の藤枝宮内が毘沙門館を奉納し、社殿が現在地へ建立された。
三戸大神宮は南部藩主の崇敬を受け、明和元年(1764)12月には藩命により御普請奉行・奥山左衛門が社殿と神楽殿を造営した。
文政9年(1826)8月には、南部家第38代当主・南部利済が大神輿と御紋幕を奉納した。大神輿は現在も保存され、神輿渡御は三戸秋まつりの神事として受け継がれている。
明治時代に神明社から三戸大神宮へ改称され、神仏分離後は旧正智院跡に祖霊社が設けられた。
昭和62年(1987)には神明造・銅板葺の新社殿が完成し、手水社、絵馬殿、皆集館も整備された。
境内には本殿、拝殿、神楽殿、祖霊社などが建つ。社殿や手水社には組子細工を取り入れたステンドグラスが設けられ、手水社には令和5年(2023)に新たな作品が設置された。
境内社の市神社は三戸宿の検断を務めた川村惣太郎をまつり、境内には旧会津藩士・杉原凱の墓も残る。
祭事は6月30日の夏越大祓式・茅の輪神事、9月13日から15日までの神輿渡御祭・三戸秋まつり、毎月1日のおついたち参りが行われている。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
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出典
青森県神社庁
http://www.aomori-jinjacho.or.jp/
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