千曳神社 - 神社ファン

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千曳神社

ちびきじんじゃ

青森県上北郡七戸町字菩提木56

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青森県上北郡七戸町字菩提木56

かんたんご利益

  • 子供
  • 安全
  • 厄除
千曳神社には

「子供系」「安全系」「厄除・開運系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

厄病除け 旅行安全 交通安全 子授け

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

道祖神系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

千曳神社は青森県上北郡七戸町に鎮座する神社。御祭神は八衢彦神、八衢姫神の2柱をまつる。
社格は村社。
創祀は大同2年(807)と伝えられ、坂上田村麻呂が建立したとする伝承が残る。また、神社周辺には坂上田村麻呂が「日本中央」と刻んだ壺の石文を建てたという伝承も伝わるが、創建当時の記録は確認されていない。
神仏習合時代には修験道本山派に属し、五戸の多門院の支配下に置かれた。さらに、上北郡横浜の八幡宮別当を務めた大光院の霞に加えられ、一時期には花巻の神職・稲田遠江の支配を受けたと伝えられる。
延宝年間(1673~1681)には火災によって神社の縁起が焼失した。当時の別当は喬岩坊で、五戸年中行事多門院の支配下にあった。宝暦年間(1751~1764)頃に成立した『御領分社堂』には「千曳明神」と記され、別当は善行院であった。
江戸時代には、幕府巡見使が南部領を巡察する際の参拝所となった。巡見使の通行に際して社殿が一時取り壊され仮社が設けられたが、明和2年(1765)に再興された。天明8年(1788)には幕府巡見使の代参が行われ、同年には紀行家・菅江真澄も七戸や石文の集落を経て千曳明神を訪れている。壺の石文を訪ねる人々は多く、千曳神社や石文に関する和歌や紀行文が残されている。
明治9年(1876)、明治天皇の東北巡幸に際し、千曳神社付近で壺の石文を探す発掘調査が実施されたが、石碑は発見されなかった。その後、昭和24年(1949)に石文集落近くの赤川上流で「日本中央」と刻まれた石が発見され、現在は日本中央の碑保存館に収蔵されている。七戸町の資料では、この石碑について複数の見解が示されている。
例大祭は毎年7月下旬から8月上旬に執り行われ、現在も地域住民によって祭祀が受け継がれている。
  • 村社
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神社詳細

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出典
青森県神社庁
http://www.aomori-jinjacho.or.jp/