有名度
前頭八幡神社
はちまんじんじゃ
青森県十和田市切田字下切田10
青森県十和田市切田字下切田10

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
八幡神社には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「八幡系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
八幡神社は青森県十和田市に鎮座する神社。御祭神は誉田別尊の1柱をまつる。
社格は旧村社。
創建については複数の伝承と記録が残されている。建久2年(1191年)、南部氏の祖である南部光行が奥州糠部へ下向した際に八幡宮を勧請し、各地を経て現在地へ鎮座したと伝えられる。また、南部光行の子である南部実光の時代以後に勧請されたとする伝承もある。さらに、十和田市の文化財資料には、南部氏第13代当主・南部守行が糠部へ下向してこの地に土着した際に勧請されたとの伝承が記されている。守行に従った切田氏は地域に居住して八幡宮を崇敬し、由緒書では、伊豆伊東氏の一族である伊勢親安が切田上館に住み、切田氏または気田氏を称したことや、切田弾正が南部守行に従って戦功を立て、切田中館に居住して社殿を整えたことが伝えられている。
創建年代についても諸説あり、『陸奥国上北郡村誌』では天正元年(1573年)、『新撰陸奥国誌』では天正7年(1579年)としている。また、気田弾正が高清水から八幡宮を遷座したとの伝承も残されている。八幡神社に伝わる文禄5年(1596年)の棟札には、気多伊豆守政親の名が記されている。
江戸時代には、八幡宮は天台系本山派修験と深く関わった。延享3年(1746年)には下切田・中屋敷・川目中・高清水の4か村を霞場とし、良学院が別当を務めた。宝暦年間(1751~1764年)の『御領分社堂』にも八幡宮の名が見え、別当は修験の良覚院であった。文化6年(1809年)には上館・夏間木・横道を加えた7か村が霞場となり、良善院が別当を務めた。
慶応3年(1867年)、切田で発生した大火により、八幡宮の別当であった良善院の住居も類焼し、由緒書や縁起などの文書が焼失したため、創建から近世までの詳細な記録の多くは失われた。明治6年(1873年)には村社へ列せられ、例祭日は文化10年(1813年)には11月15日、明治11年(1878年)頃には旧暦8月15日と記録されている。明治43年(1910年)に新暦9月15日へ改められ、現在も同日に例大祭が執り行われている。
例大祭では南部切田神楽が奉納される。南部切田神楽は江戸時代初期に出羽の羽黒修験者から伝えられたとされ、江戸時代末期に一度途絶えた後、岩手県小鳥谷の舞太夫から75番の演目を学び、舞と囃子が復興された。五方権現舞・三番叟・鳥舞・山の神舞・女舞機織の5演目は、昭和31年(1956年)5月14日に青森県無形民俗文化財に指定され、平成16年(2004年)2月6日には国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択されている。現在も南部切田神楽会によって保存と奉納が受け継がれている。
社格は旧村社。
創建については複数の伝承と記録が残されている。建久2年(1191年)、南部氏の祖である南部光行が奥州糠部へ下向した際に八幡宮を勧請し、各地を経て現在地へ鎮座したと伝えられる。また、南部光行の子である南部実光の時代以後に勧請されたとする伝承もある。さらに、十和田市の文化財資料には、南部氏第13代当主・南部守行が糠部へ下向してこの地に土着した際に勧請されたとの伝承が記されている。守行に従った切田氏は地域に居住して八幡宮を崇敬し、由緒書では、伊豆伊東氏の一族である伊勢親安が切田上館に住み、切田氏または気田氏を称したことや、切田弾正が南部守行に従って戦功を立て、切田中館に居住して社殿を整えたことが伝えられている。
創建年代についても諸説あり、『陸奥国上北郡村誌』では天正元年(1573年)、『新撰陸奥国誌』では天正7年(1579年)としている。また、気田弾正が高清水から八幡宮を遷座したとの伝承も残されている。八幡神社に伝わる文禄5年(1596年)の棟札には、気多伊豆守政親の名が記されている。
江戸時代には、八幡宮は天台系本山派修験と深く関わった。延享3年(1746年)には下切田・中屋敷・川目中・高清水の4か村を霞場とし、良学院が別当を務めた。宝暦年間(1751~1764年)の『御領分社堂』にも八幡宮の名が見え、別当は修験の良覚院であった。文化6年(1809年)には上館・夏間木・横道を加えた7か村が霞場となり、良善院が別当を務めた。
慶応3年(1867年)、切田で発生した大火により、八幡宮の別当であった良善院の住居も類焼し、由緒書や縁起などの文書が焼失したため、創建から近世までの詳細な記録の多くは失われた。明治6年(1873年)には村社へ列せられ、例祭日は文化10年(1813年)には11月15日、明治11年(1878年)頃には旧暦8月15日と記録されている。明治43年(1910年)に新暦9月15日へ改められ、現在も同日に例大祭が執り行われている。
例大祭では南部切田神楽が奉納される。南部切田神楽は江戸時代初期に出羽の羽黒修験者から伝えられたとされ、江戸時代末期に一度途絶えた後、岩手県小鳥谷の舞太夫から75番の演目を学び、舞と囃子が復興された。五方権現舞・三番叟・鳥舞・山の神舞・女舞機織の5演目は、昭和31年(1956年)5月14日に青森県無形民俗文化財に指定され、平成16年(2004年)2月6日には国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択されている。現在も南部切田神楽会によって保存と奉納が受け継がれている。
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神社詳細
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出典
青森県神社庁
http://www.aomori-jinjacho.or.jp/
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