八幡宮 青森県十和田市滝沢字中渡 - 神社ファン

有名度

前頭

八幡宮

はちまんぐう

青森県十和田市滝沢字中渡62

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青森県十和田市滝沢字中渡62

かんたんご利益

  • 仕事
  • 勝負
八幡宮には

「仕事系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

八幡系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

八幡宮は青森県十和田市に鎮座する神社。御祭神は誉田別尊の1柱をまつる。
創建については複数の伝承が残されている。十和田市指定無形文化財「南部駒踊(滝沢)」の資料では、承久2年(1220)、対馬平次郎景満が主君・南部光行の命を受け、甲府から滝沢村へ南部家の氏神である八幡宮を勧請したと伝える。対馬平次郎景満は南部光行から川原毛馬鞍を授けられ、八幡宮の祭礼で駒踊が始まったという。
滝沢地区の旧家である滝沢家には、正徳4年(1714)作成の「陸奥南部糠部郡瀧澤中渡正八幡宮縁起」が伝わる。同縁起には、南部家家臣の滝沢某が甲州から八幡宮の神体を背負って中渡へ至り、小社を建立して安置したと記されている。
その後、滝沢某は夢を見たことをきっかけに社を移すことを考えたという。神体から飛び立った鳩を追うと櫛引の里にとどまったため、八幡宮を櫛引へ遷したと伝えられる。この八幡宮が現在の八戸市の櫛引八幡宮になったとされる。
神体が遷された後、中渡の旧社は荒廃した。正徳4年(1714)、滝沢義昌は倒れた桜の枝に掛かっていた鏡像を見つけ、その鏡像を櫛引八幡宮の神形として新たに小社を建立した。これが現在の中渡八幡宮の起こりと伝えられ、江戸時代には「滝ノ沢本宮八幡宮」とも呼ばれた。
滝沢家は代々、櫛引八幡宮の御神事御用を務めた。十和田市へ寄贈された滝沢家文書には、櫛引八幡宮と中渡八幡宮の神事、南部藩からの通知、滝沢地区の新田開発や知行地経営に関する記録が残る。また、明和7年(1770)から慶応4年(1868)までの「櫛引本宮八幡御神事御用年々諸控帳」も伝わる。櫛引八幡宮では毎年4月と8月に祭祀が行われ、滝沢家の者は事前に滝沢地区で禊を行った後、神事に奉仕した。
滝沢地区に伝わる南部駒踊は、昭和40年(1965)10月8日に十和田市無形文化財に指定された。保存団体は南部駒踊滝沢保存会である。承久2年(1220)の八幡宮勧請と川原毛馬鞍の拝領を起源とする伝承のほか、南部家が行った野馬捕りの様子が芸能化したとする説も伝えられている。踊り手は馬の頭やたてがみを表した装具を身につけ、馬の動きを取り入れた踊りを演じる。
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出典
青森県神社庁
http://www.aomori-jinjacho.or.jp/