有名度
十両八幡宮
はちまんぐう
青森県南津軽郡藤崎町西中野目字宮元7
青森県南津軽郡藤崎町西中野目字宮元7

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
八幡宮には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「八幡系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
八幡宮は青森県南津軽郡藤崎町に鎮座する神社。御祭神は誉田別命の1柱をまつる。
延暦年間(782~806年)、蝦夷征討に赴いた坂上田村麻呂が建立した108社のうちの1社と伝えられる。創建当初は古館村・俵升村・中野目村の境に鎮座し、正観音をまつる周辺10村の産土神として崇敬を集めていた。
その後、亀岡村へ遷座し、寛文2年(1662年)に現在地へ本殿と拝殿を建立して移された。さらに、宝永2年(1705年)には吉田神道の傘下に入り、飛龍大権現をまつる飛龍宮となり、明治3年(1870年)の神仏分離に伴って社名を八幡宮へ改めた。
江戸時代後期の寛政年間(1789~1801年)には、紀行家・菅江真澄が当地を訪れ、飛龍権現の祠や前方の堰に石柱を並べて架けられた橋の様子を記録するとともに、「俵升山」と題する絵を残している。
境内には、盗賊に襲われた人物が庚申の加護によって難を逃れたことから建立されたと伝わる庚申塔をはじめ、戦争に関する石碑やイタヤカエデの古木が残る。例祭は毎年8月15日に執り行われている。
延暦年間(782~806年)、蝦夷征討に赴いた坂上田村麻呂が建立した108社のうちの1社と伝えられる。創建当初は古館村・俵升村・中野目村の境に鎮座し、正観音をまつる周辺10村の産土神として崇敬を集めていた。
その後、亀岡村へ遷座し、寛文2年(1662年)に現在地へ本殿と拝殿を建立して移された。さらに、宝永2年(1705年)には吉田神道の傘下に入り、飛龍大権現をまつる飛龍宮となり、明治3年(1870年)の神仏分離に伴って社名を八幡宮へ改めた。
江戸時代後期の寛政年間(1789~1801年)には、紀行家・菅江真澄が当地を訪れ、飛龍権現の祠や前方の堰に石柱を並べて架けられた橋の様子を記録するとともに、「俵升山」と題する絵を残している。
境内には、盗賊に襲われた人物が庚申の加護によって難を逃れたことから建立されたと伝わる庚申塔をはじめ、戦争に関する石碑やイタヤカエデの古木が残る。例祭は毎年8月15日に執り行われている。
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神社詳細
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出典
青森県神社庁
http://www.aomori-jinjacho.or.jp/
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