有名度
十両正八幡宮
しょうはちまんぐう
青森県南津軽郡藤崎町矢沢字福富四番囲8
青森県南津軽郡藤崎町矢沢字福富四番囲8

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
正八幡宮には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「八幡系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
正八幡宮は青森県南津軽郡藤崎町に鎮座する神社。御祭神は誉田別命の1柱をまつる。
由緒には異なる2つの伝承が伝えられている。1つは、大同年間(806~810年)に坂上田村麻呂が蝦夷の首領・高丸を討った際、その矢を修験者の明円へ授け、正八幡宮をまつる矢沢山勝軍寺を建立したというものである。また別の記録では、この出来事を延暦3年(784年)としており、高丸の遺骸を沼洲村近くの赤沼に葬り、その矢を正八幡宮の御神体としてまつったと伝えている。
もう1つは、元和元年(1615年)に弘前の広田三郎左衛門が小畑の三本木で異形の仏像を発見し、これを矢沢村の氏神としてまつったことを起源とする伝承である。
正八幡宮は、かつて現在地より藤越寄りの赤沼付近に鎮座していたと伝えられる。江戸時代後期には紀行家・菅江真澄が当地を訪れ、境内の松の様子を紀行文や和歌に記している。また、昭和30年(1955年)に十二里村が藤崎町へ合併するまで、境内に隣接して十二里村役場が置かれていた。現在も参道には、八幡神の神使とされる鳩をかたどった石像が建ち、神社の特色ある景観を今に伝えている。
由緒には異なる2つの伝承が伝えられている。1つは、大同年間(806~810年)に坂上田村麻呂が蝦夷の首領・高丸を討った際、その矢を修験者の明円へ授け、正八幡宮をまつる矢沢山勝軍寺を建立したというものである。また別の記録では、この出来事を延暦3年(784年)としており、高丸の遺骸を沼洲村近くの赤沼に葬り、その矢を正八幡宮の御神体としてまつったと伝えている。
もう1つは、元和元年(1615年)に弘前の広田三郎左衛門が小畑の三本木で異形の仏像を発見し、これを矢沢村の氏神としてまつったことを起源とする伝承である。
正八幡宮は、かつて現在地より藤越寄りの赤沼付近に鎮座していたと伝えられる。江戸時代後期には紀行家・菅江真澄が当地を訪れ、境内の松の様子を紀行文や和歌に記している。また、昭和30年(1955年)に十二里村が藤崎町へ合併するまで、境内に隣接して十二里村役場が置かれていた。現在も参道には、八幡神の神使とされる鳩をかたどった石像が建ち、神社の特色ある景観を今に伝えている。
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神社詳細
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出典
青森県神社庁
http://www.aomori-jinjacho.or.jp/
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