有名度
十両蛎崎八幡宮
かきざきはちまんぐう
青森県むつ市川内町蛎崎90
青森県むつ市川内町蛎崎90

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
蛎崎八幡宮には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「八幡系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
蛎崎八幡宮は青森県むつ市に鎮座する神社。御祭神は誉田別命の1柱をまつる。
建武元年(1334年)、押領使・南部師行の随将であった武田修理大夫信義が北部の目代となり、蛎崎の地を拠点とした。その頃、当地の鎮守として祀った御堂が蛎崎八幡宮の起源と伝えられている。
享徳2年(1453年)、蛎崎第五代目代の武田五郎信純(蛎崎蔵人)は上洛して室町幕府第8代将軍・足利義政に拝謁し、従五位下蔵人に任官された。この際、銘刀「国行」の御太刀一腰を拝領し、蛎崎八幡宮へ奉納したとされる。また、神社紋には「五三の桐」を用いており、神社紋としては非常に珍しく、下北管内では当八幡宮のみとされる貴重な存在である。拝殿屋根の鬼瓦に刻まれた神紋や、神紋入りの御神酒用盃が現在も残されている。
康正3年(1457年)の蛎崎戦争後、この地は八戸根城南部氏の支配下となった。その後、元亀元年(1570年)に南部氏北部の鎮守としてあらためて勧請され、以来、連綿と今日まで崇敬を集めている。
建武元年(1334年)、押領使・南部師行の随将であった武田修理大夫信義が北部の目代となり、蛎崎の地を拠点とした。その頃、当地の鎮守として祀った御堂が蛎崎八幡宮の起源と伝えられている。
享徳2年(1453年)、蛎崎第五代目代の武田五郎信純(蛎崎蔵人)は上洛して室町幕府第8代将軍・足利義政に拝謁し、従五位下蔵人に任官された。この際、銘刀「国行」の御太刀一腰を拝領し、蛎崎八幡宮へ奉納したとされる。また、神社紋には「五三の桐」を用いており、神社紋としては非常に珍しく、下北管内では当八幡宮のみとされる貴重な存在である。拝殿屋根の鬼瓦に刻まれた神紋や、神紋入りの御神酒用盃が現在も残されている。
康正3年(1457年)の蛎崎戦争後、この地は八戸根城南部氏の支配下となった。その後、元亀元年(1570年)に南部氏北部の鎮守としてあらためて勧請され、以来、連綿と今日まで崇敬を集めている。
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神社詳細
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出典
青森県神社庁
http://www.aomori-jinjacho.or.jp/
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