日吉神社 五所川原市 - 神社ファン

有名度

十両

日吉神社

ひえじんじゃ

青森県五所川原市相内岩井84

😞 🙁 😐 🙂 😄

青森県五所川原市相内岩井84

かんたんご利益

  • 仕事
  • 厄除
  • 家庭
日吉神社には

「仕事系」「厄除・開運系」「家庭系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

諸産業繁栄 家系繁栄 厄除け

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

日吉・山王系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

日吉神社は青森県五所川原市に鎮座する神社。御祭神は大山咋命の1柱をまつる。
社格は旧村社。
創建年代は明らかではない。日吉神社は十三湖の北岸、山王坊川沿いに鎮座する。境内は中世の宗教遺跡「山王坊遺跡」として知られ、発掘調査では14世紀中頃から15世紀中頃の陶磁器が出土し、この時期に神社と寺院が営まれていたことが確認されている。
境内では、奥院、鳥居、幣殿・拝殿、石組階段が一直線に配置された神社跡や、本殿、瑞垣、中門、舞台、渡廊、拝殿とみられる礎石建物跡が発見された。また、寺院跡では、東西7間・南北5間の建物を中心に3棟がコの字形に並び、仏堂や庫裏、参籠所と考えられる建物跡も確認されている。最奥部では、方形配石墓や無縫塔の一部、蔵骨器とみられる壺片も出土した。
永享4年(1432年)、十三湊を本拠とした安藤氏は南部氏の攻撃を受けて蝦夷島へ退いた。その後十三湊へ戻ったものの、嘉吉2年(1442年)の再攻撃によって再び蝦夷島へ移った。安永9年(1780年)成立の『福山秘府』には、嘉吉3年(1443年)に山王坊、永善坊、万願寺實相坊を名乗る者が安藤氏に従って松前へ渡ったことが記されている。
寛政8年(1796年)、菅江真澄は『外浜奇勝』に山王坊の寺跡と、弘智法印が住んでいたという伝承を記した。地元には阿吽寺があったことや、南部氏の焼き打ちを受けたという伝承も残されている。
明治3年(1870年)、神仏分離によって山王宮から日吉神社へ改称された。同年の『神仏混淆神社調帳』には、日吉神社を相内村の飛竜宮境内へ移したことが記されている。明治9年(1876年)の『新撰陸奥国誌』には、相内村北東に山王坊と呼ばれる小堂があると記されており、この間に現在地へ戻ったとされる。
昭和57年(1982年)から平成元年(1989年)に山王坊跡調査団が発掘調査を実施し、平成18年(2006年)から平成21年(2009年)には五所川原市教育委員会が追加調査を行った。その成果を受け、平成29年(2017年)に山王坊遺跡は国史跡に指定された。
参道入口には山王鳥居が立ち、平成5年(1993年)6月には国道沿いに高さ11メートル、幅13メートルの鳥居が建立された。例祭は旧暦6月14日と15日に執り行われる。
  • 村社
スポンサーリンク

神社詳細

摂末社・境内社

情報募集

例祭

情報募集

文化財

情報募集

建築

情報募集

神紋

情報募集

出典
青森県神社庁
http://www.aomori-jinjacho.or.jp/