有名度
十両上皇宮
じょうこうぐう
青森県弘前市紙漉沢山越174
青森県弘前市紙漉沢山越174

かんたんご利益
- 仕事
- 安全
- 厄除
上皇宮には
「仕事系」「安全系」「厄除・開運系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
航空安全 海上安全 農業守護 悪疫退散
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(柱)」 「龍田系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
上皇宮は青森県弘前市に鎮座する神社。御祭神は長慶天皇、天御柱神、国御柱神の3柱をまつる。
社伝によれば、大同2年(807年)、坂上田村麻呂が東征の際に宝龍権現を勧請したことに始まると伝えられている。
紙漉沢には、南朝第3代の長慶天皇が各地を転々とした後に陸奥へ入り、応永10年(1403年)に当地で崩御したとする伝説が残されている。社殿の背後から山道を約200メートル登った場所には、長慶天皇の墓所と伝えられる塚があり、古くから地域の伝承の地として知られてきた。
この塚は明治時代に長慶天皇御陵墓参考地に指定されたが、その後、京都市の嵯峨東陵が長慶天皇陵に治定されたことに伴い、参考地の指定は解除された。現在は旧長慶天皇御陵墓参考地として保存され、歴史伝承を今に伝えている。
例祭日は7月13日である。
社伝によれば、大同2年(807年)、坂上田村麻呂が東征の際に宝龍権現を勧請したことに始まると伝えられている。
紙漉沢には、南朝第3代の長慶天皇が各地を転々とした後に陸奥へ入り、応永10年(1403年)に当地で崩御したとする伝説が残されている。社殿の背後から山道を約200メートル登った場所には、長慶天皇の墓所と伝えられる塚があり、古くから地域の伝承の地として知られてきた。
この塚は明治時代に長慶天皇御陵墓参考地に指定されたが、その後、京都市の嵯峨東陵が長慶天皇陵に治定されたことに伴い、参考地の指定は解除された。現在は旧長慶天皇御陵墓参考地として保存され、歴史伝承を今に伝えている。
例祭日は7月13日である。
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出典
青森県神社庁
http://www.aomori-jinjacho.or.jp/
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