留辺蘂神社 - 神社ファン

有名度

前頭

留辺蘂神社

るべしべじんじゃ

北海道北見市留辺蘂町宮下町115番地

😞 🙁 😐 🙂 😄

北海道北見市留辺蘂町宮下町115番地

かんたんご利益

  • 仕事
留辺蘂神社には

「仕事系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家隆昌 生命力向上 五穀豊穣

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

伊勢・神明系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

留辺蘂神社は北海道北見市に鎮座する神社。御祭神は天照皇大神の1柱をまつる。
社格は旧村社。
留辺蘂における神祇祭祀は、明治40年(1907年)から明治43年(1910年)頃、現在の留辺蘂橋北側にあたる川向紅葉山下へ聖徳太子をまつる標柱が建立されたことに始まる。明治41年(1908年)頃には、千葉能章を発起人として天照皇大神をまつる小祠が建立され、昭和20年(1945年)頃まで地域住民によって例祭が執り行われた。この小祠は終戦直後に留辺蘂神社へ合祀され、現存していない。
明治45年(1912年)の明治天皇崩御を受け、現在の境内地に遥拝所が設けられた。留辺蘂神社では、この遥拝所の設置を創祀としている。大正初期には天照皇大神を奉斎する小祠が建てられ、大正7年(1918年)には正式な社殿が造営された。神社では大正元年を創祀、大正7年を社殿創建としている。
大正9年(1920年)、荒木万太郎が留辺蘂へ移住し、後に初代宮司となった。大正10年(1921年)には、日清戦争と日露戦争の戦病没者を顕彰する忠魂碑が境内に建立された。
昭和21年(1946年)には大山津見神社を本殿へ合祀し、昭和29年(1954年)には奈良県の石上神宮から布都御魂大神、布留御魂大神、布都斯御魂大神の3柱を勧請した。
平成16年(2004年)には老朽化した本殿・幣殿・拝殿を建て替え、本殿遷座祭を斎行した。あわせて一之鳥居や参道も改修され、現在の84段の参道階段が整備された。令和7年(2025年)には、大正4年(1915年)創建の金華神社を本殿へ合祀している。
社殿は神明造で、境内には本殿、幣殿、拝殿、社務所、神輿殿などが建つ。境内の末社である聖徳太子神社では、建築関係者が参列する太子講祭が毎年執り行われる。
例大祭は秋まつりとして9月最終土曜日と翌日の2日間に行われ、宵宮祭、本祭、神輿渡御、還御祭が斎行される。神幸行列は氏子区域内20数か所の御旅所を巡り、各所で駐御祭が執り行われる。北海道神社庁への届出上の例祭日は9月22日である。
  • 村社
スポンサーリンク

神社詳細

公式URL

摂末社・境内社

情報募集

例祭

情報募集

文化財

情報募集

建築

情報募集

神紋

情報募集

出典
北海道神社庁
https://hokkaidojinjacho.jp/