有名度
十両南富良野神社
みなみふらのじんじゃ
北海道空知郡南富良野町字幾寅1210
北海道空知郡南富良野町字幾寅1210

かんたんご利益
- 仕事
南富良野神社には
「仕事系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家隆昌 生命力向上 五穀豊穣
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「伊勢・神明系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
南富良野神社は北海道空知郡南富良野町に鎮座する神社。御祭神は天照皇大神の1柱をまつる。
創祀は明治37年(1904年)頃と伝えられるが、正確な時期は明らかではない。開拓時代、内藤農場の所有地で尾崎釿四郎が蝦夷松を角柱に削り、「天照皇大神」と墨書して祀ったことに始まると伝えられている。
約2年後に西町へ遷座し、市街地の拡大に伴ってイクトラシベツ川西岸の公共用地へ再び遷座した。この地に建てられた社殿は昭和32年(1957年)まで残り、氏子は川を渡って参拝していた。
昭和15年(1940年)、佐々木幸男村長の発議により南富良野神社御造営奉賛会が設立された。幾寅のほか、落合、鹿越、金山、下金山の各地区から委員が選出され、神社創立と社殿造営のための活動が進められた。昭和16年(1941年)6月19日に神社創立が認可され、境内地は内藤璋義から寄付された。さらに、鹿越で石灰鉱山を経営していた王子製紙株式会社からの6千円をはじめ、各地から造営費が寄せられた。
社殿の設計と施工は旭川市の平山が請け負い、昭和18年(1943年)に着工した。戦時下ではあったが同年末には現在の社殿が竣工し、あわせて木造の大鳥居も建立された。この大鳥居は後に鋼管製へ建て替えられている。戦後の昭和21年(1946年)からは富良野神社宮司の西川仁之進が兼務宮司を務めた。平成7年(1995年)には老朽化した社殿屋根の葺き替えをはじめとする修理を行い、祭務所を新設した。
祭事では幾寅獅子舞が奉納されている。旧社格は無格社、社殿は神明造で、例祭日は毎年9月17日である。
創祀は明治37年(1904年)頃と伝えられるが、正確な時期は明らかではない。開拓時代、内藤農場の所有地で尾崎釿四郎が蝦夷松を角柱に削り、「天照皇大神」と墨書して祀ったことに始まると伝えられている。
約2年後に西町へ遷座し、市街地の拡大に伴ってイクトラシベツ川西岸の公共用地へ再び遷座した。この地に建てられた社殿は昭和32年(1957年)まで残り、氏子は川を渡って参拝していた。
昭和15年(1940年)、佐々木幸男村長の発議により南富良野神社御造営奉賛会が設立された。幾寅のほか、落合、鹿越、金山、下金山の各地区から委員が選出され、神社創立と社殿造営のための活動が進められた。昭和16年(1941年)6月19日に神社創立が認可され、境内地は内藤璋義から寄付された。さらに、鹿越で石灰鉱山を経営していた王子製紙株式会社からの6千円をはじめ、各地から造営費が寄せられた。
社殿の設計と施工は旭川市の平山が請け負い、昭和18年(1943年)に着工した。戦時下ではあったが同年末には現在の社殿が竣工し、あわせて木造の大鳥居も建立された。この大鳥居は後に鋼管製へ建て替えられている。戦後の昭和21年(1946年)からは富良野神社宮司の西川仁之進が兼務宮司を務めた。平成7年(1995年)には老朽化した社殿屋根の葺き替えをはじめとする修理を行い、祭務所を新設した。
祭事では幾寅獅子舞が奉納されている。旧社格は無格社、社殿は神明造で、例祭日は毎年9月17日である。
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出典
北海道神社庁
https://hokkaidojinjacho.jp/
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