亀田八幡宮 - 神社ファン

有名度

前頭

亀田八幡宮

かめだはちまんぐう

北海道函館市八幡町3番2号

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北海道函館市八幡町3番2号

鳥居

Iso10970(wikipedia CC 表示-継承 4.0)

かんたんご利益

  • 仕事
  • 勝負
亀田八幡宮には

「仕事系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

八幡系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

亀田八幡宮は北海道函館市に鎮座する神社。御祭神は誉田別命の1柱をまつる。
亀田八幡宮の創建は、社伝では明徳元年(1390)に始まる。越前国敦賀郡の気比神宮より御分霊を奉遷したと伝えられる。
その後、河野加賀守森幸が笠原右源太の孫左衛門に本殿を造営させたが、松前藩祖信広との戦乱により、祭祀と営繕が困難になったとされる。
蝦夷地大乱の時、松前藩第4代藩主慶広は南部大澗より渡来した智楽院に七飯村藤山頂上で必勝祈願を行わせた。戦後、松前藩は藩祖信広の大弓、半弓、矢を奉納し、正月6日の法楽神事を命じ、七重浜の柏樹林の伐採を禁じた。亀田八幡宮は松前藩の祈願所に定められた。
慶長8年(1603)10月、本殿と拝殿が建立された。旧社殿は文久3年(1863)に改築され、現在は神輿殿として残っている。
明治元年(1868)には蝦夷統督清水谷侍従が参拝した。戊辰戦争では旧幕府軍の榎本武揚、大鳥圭介らが神殿で降伏を誓約した。明治2年(1869)5月15日には箱館戦争の戦場となり、同月17日に旧幕府軍と新政府軍が会見した。翌18日に五稜郭が開城した。
明治2年(1869)8月と12月には侍従東久世通禧が参拝した。明治9年(1876)に郷社となり、明治15年(1882)には有栖川宮幟仁親王御真筆が奉納された。明治41年(1908)には神饌幣帛料供進神社に指定された。
現在の社殿は流権現造である。旧社殿は文久3年(1863)改築の建物で、現在は神輿殿として残り、箱館戦争時の弾痕が残されている。
社宝には、文久3年(1863)改築の神輿殿、弘化4年(1847)の鳥居、文政10年(1827)5月の「松前若狭守章広謹書」の額、寛政12年(1800)の絵馬、明治15年(1882)の有栖川宮幟仁親王直筆の軸がある。境内には保存樹木の欅とオンコがある。例祭日は9月15日で、特殊神事として松前神楽が伝えられている。
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神社詳細

摂末社・境内社

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例祭

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文化財

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建築

本殿 流権現造

神紋

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E7%94%B0%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
北海道神社庁
https://hokkaidojinjacho.jp/