北畠顕信
きたばたけあきのぶ
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング655位
- 公卿
- 武人
南北朝 [1320年~1380年]
北畠顕信とは?
北畠顕信(?-1380)は南北朝時代の人物。北畠親房の子で、北畠守親らの親。北畠顕家の弟にあたる。生年は定かでないが1320年頃の生まれとみられる。後醍醐天皇側近の筆頭であった北畠親房の次男として生を受け、左近衛少将の座にあったことから「春日少将」と称した。1336年には伊勢国(現在の三重県)で挙兵して後醍醐天皇の遷幸を援助、伊勢国の国司に任じられている。1338年の石津の戦いにて顕家が命を落とすと、兄の後任として顕信が鎮守府将軍の任を負った。しかし武将としての事績は、出兵中に嵐に巻き込まれて退却したり、多賀城・霊山城・宇津峰城など複数の城を落とされたりと、結果だけ見ればあまり芳しくない。1358年8月頃、鳥海山大物忌神社(山形県遊佐町)に南朝復興などを祈願した寄進書を納めた記録を最後に、顕信の足取りはほとんど掴めなくなる。それ以降の足跡については、吉野に帰還して右大臣を務めた、九州に下向し懐良親王の補佐役を務めた等の説がある。また、津軽に落ち延びて浪岡氏の祖となったという伝承も。 顕信を祀るのは、山形県天童市の北畠神社。同神社は、1351年の戦にて顕信が吉良貞家を破った場所に建立されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
霊山神社
(福島県伊達市霊山町大石古屋舘1)
八甲田神社
(青森県青森市幸畑字阿部野163-79)
谷地頭神社
(青森県三沢市三沢字早稲田1254-25)
北畠神社
(山形県天童市大字荒谷字小才勝421)
