文室宮田麻呂 神社の神様 - 神社ファン

文室宮田麻呂

ふんやのみやたまろ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング229位

  • 公家(貴族)

平安

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 文室宮田麻呂とは?

    文室宮田麻呂(?-?)は、平安時代初期の貴族。名を宮田麿、宮田丸とも書く。大納言・文室浄三の孫で、備前守・三諸大原の六男。839年に従五位上に叙せられ、翌年には筑前守に任命されたが、841年に官職を解かれている。841年初め、新羅人・張宝高が特産品を朝廷へ献上しようと派遣されてきたが、朝廷はそれを断った。この時に宮田麻呂は張宝高に絁を贈り特産品をもらい受けようとした。当時、民間にのみ交易が許されていたが、宮田麻呂は官職につきながら交易を行っていた事で職を追われたという。解任された後も宮田麻呂はその地に留まり、新羅の廻易使・李忠らと折衝を重ね、民間人として交易をおこなっていた。843年、従者の陽侯氏雄から謀反の疑いをかけられ、告発される。左衛門府に投獄され、平安京と難波の邸宅から武器が押収された。参議・滋野貞主らの訊問を受けたが謀反の疑いは晴れず、子息や従者たちとともに伊豆国へ流罪となってしまった。その後の行方は知れないが、伊豆国で没したものとされている。863年に宮田麻呂は無罪であったとされ、神泉苑の御霊会で慰霊された。 京都市中京区にある下御霊神社では、桓武天皇たちとともに宮田麻呂が主祭神として祀られている。ここに祀られている8柱はいずれも政争に巻き込まれて憤死した人々である。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    上御霊神社
    (京都府上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495)
    下御霊神社
    (京都府上京区新烏丸通丸太町下る信富町324)
    御霊神社
    (奈良県奈良市薬師堂町24)
    御靈神社
    (群馬県前橋市粕川町女渕1174番地1)
    五靈神社
    (千葉県山武市木原311番地)