白山権現 神社の神様 - 神社ファン

白山権現

はくさんごんげん

  • 神話・伝説
  • 不明
白山権現

土佐秀信(仏像図彙)

祭神ランキング172位

白山権現とは?

白山権現は、加賀国・越前国・美濃国にまたがる霊峰白山への山岳信仰と、仏教や修験道が結びついて成立した神仏習合の神である。白山大権現、白山妙理権現、白山妙理大権現などとも称された。中心となる白山妙理大権現は女神として信仰され、十一面観音を本地仏とするが、白山権現という名称は一柱の女神だけを指すとは限らず、大汝権現、大行事権現を合わせた白山三所権現として祀られることもあった。
白山信仰の発展には、奈良時代の修験者で白山を開いたと伝えられる泰澄が深く関わっている。後世に成立した白山の縁起では、泰澄が白山の神から託宣を受けて山へ登り、山頂付近の翠ヶ池で祈りを捧げると九頭竜が姿を現し、さらに祈ることで十一面観音の姿を示したと伝えられている。こうした伝承を通じて、白山の神と十一面観音を一体とする白山妙理大権現の信仰が形成された。
白山では主峰の御前峰を中心とする白山妙理大権現だけでなく、大汝峰に大汝権現、別山に大行事権現を配し、三神を白山三所権現として祀る信仰が発達した。それぞれに本地仏が定められ、白山の山岳信仰と密教、修験道が結びついた神仏習合の霊場が形成された。白山信仰は加賀・越前・美濃の三方から山頂へ向かう登拝路を中心に発展し、修験者などによって全国へ広められ、多くの白山権現社が成立した。
白山妙理大権現の神格は時代とともにさまざまな神と結びつけられた。イザナミと同一視する伝承があるほか、菊理媛神や白山比咩神とも重ねられるようになった。ただし、これらが古くから一貫して同一神とされていたわけではなく、中世以降の白山信仰や神道説の展開の中で形成された神格の重なりとして捉える必要がある。
明治初年の神仏分離によって権現号や本地仏を中心とする神仏習合的な祭祀は改められ、多くの白山権現社は白山神社として再編された。白山信仰の中心の一つである現在の白山比咩神社では白山比咩大神を菊理媛神と同一神として祀っている。一方、寺院側にも白山権現信仰の伝統は残され、石川県小松市の那谷寺などでは白山信仰と深く結びついた歴史が伝えられている。
白山権現は白山の霊威を体現する神として、五穀豊穣、延命長寿、子孫繁栄、良縁成就、厄除けなどの神徳で信仰されてきた。代表的な信仰の中心に石川県白山市の白山比咩神社、福井県勝山市の平泉寺白山神社、岐阜県郡上市の長滝白山神社、石川県小松市の那谷寺などがある。

エピソード

泰澄の登拝と白山開山伝説
白山は加賀国・越前国・美濃国、現在の石川県・福井県・岐阜県にまたがる高峰で、山頂に雪をいただく姿や、山から流れ出す水によって古くから霊山と仰がれてきた。白山信仰では、越前国の僧泰澄が養老元年(717)に白山へ登り、山を開いたと伝えられている。
白山比咩神社の伝承によれば、泰澄は修行中に現れた女神から白山へ来るよう告げられた。山頂近くの翠ヶ池で祈ると九頭竜が姿を現し、さらに祈りを続けると、その本地である十一面観音が現れたという。この垂迹神が白山妙理大権現であり、のちに白山比咩大神や菊理媛神と重ねられた。
この物語は『古事記』『日本書紀』の神話ではなく、中世に整えられた泰澄の伝記や白山縁起に伝わる開山説話である。白山の神を仏が日本の人々を救うために現した姿と捉えることで、白山権現への信仰は登拝、修行、祈祷を伴う山岳信仰として発展した。

出典・参考:『泰澄和尚伝記』、白山比咩神社「白山信仰」、白山比咩神社「白山の伝説」



三つの峰に祀られた白山三所権現
中世の白山信仰では、白山の複数の峰がそれぞれ神仏の鎮まる場所と考えられた。主峰の御前峰には白山妙理大権現を祀り、本地仏を十一面観音とした。大汝峰には大汝権現を祀り、本地仏を阿弥陀如来とし、別山には大行事権現を祀り、本地仏を聖観音とした。この三神を総称したものが白山三所権現である。
大汝権現は国土経営の神である大己貴命、大行事権現は山を司る大山祇命と結びつけられた。白山権現という名称は、狭い意味では御前峰の女神である白山妙理大権現を指すが、広い意味では三峰に祀られた神々や白山全体の霊威を表す。そのため、白山権現を常に一柱の女神と説明すると、中世に行われていた実際の信仰を捉えきれない。
白山は一つの神が鎮まる山であると同時に、複数の神仏が峰ごとに姿を現す立体的な霊場であった。登拝者は峰や堂を巡ることで、白山三所権現の霊威に触れようとしたのである。

出典・参考:『白山之記』、岐阜県「絹本著色白山三社本地仏図」、白山比咩神社「白山信仰」



三馬場から全国へ広がった白山信仰
白山への登拝路には、加賀国・現在の石川県の白山比咩神社、越前国・現在の福井県の平泉寺、美濃国・現在の岐阜県の長滝寺を中心とする三つの拠点が成立した。これらは加賀馬場・越前馬場・美濃馬場と呼ばれ、それぞれから山頂へ向かう禅定道が開かれた。馬場は登拝者を受け入れる入口であると同時に、白山権現を祀る宗教的な拠点でもあった。
三馬場を拠点とする修験者や御師は各地を巡り、白山権現の霊験を伝え、神札を配った。白山から流れ出す水は北陸や濃尾地方の田畑と生活を支えたため、白山権現は水、農耕、生命を守る神として信仰された。白山の神を勧請した白山社は北陸から東海、関東、東北などへ広がり、地域ごとに五穀豊穣、延命長寿、子孫繁栄、歯の病、疱瘡、女性の守護などの信仰とも結びついた。
全国の白山社は一つの形式で広がったのではない。三馬場それぞれの修験者や宗教組織が活動し、土地ごとの神や仏と結びついたことで、多様な白山信仰が形成されたのである。

出典・参考:白山比咩神社「白山信仰」、環境省「白山国立公園の特徴」、白山文化博物館「美濃馬場の成立と神仏習合」



神仏分離で山を下りた白山の仏たち
神仏習合の時代、白山の山頂や登拝路には白山権現の本地仏とされた仏像や仏具が安置されていた。御前峰の白山妙理大権現には十一面観音、大汝峰の大汝権現には阿弥陀如来、別山の大行事権現には聖観音が対応し、登拝者は神と仏を分けることなく礼拝していた。
明治元年(1868)に神仏判然令が出されると、白山でも神社と寺院を分離する動きが進んだ。明治七年(1874)には山頂一帯の神仏分離が強行され、仏像や仏具は撤去や廃棄の対象となった。これを惜しんだ人々は仏像を山から下ろし、石川県白山市白峰の林西寺や尾添白山社などへ移した。これらは「白山下山仏」と呼ばれている。
林西寺には、白山本地仏である十一面観音像をはじめ、阿弥陀如来像、聖観音像、泰澄像などが伝えられている。多くの白山権現社は神仏分離後に白山神社となり、白山比咩大神や菊理媛神を祭神とした。一方、山を下りた仏像は寺院や地域の人々によって守られ、白山権現が神と仏の両面を備えていた歴史を現在へ伝えている。

出典・参考:白山比咩神社「白山信仰」、白山市「林西寺 白山下山仏」、石川県「白峰林西寺白山下山仏」



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出典文献

神仏習合の神

ご神徳

五穀豊穣 延命長寿 子孫繁栄 良縁成就 金運招福

別称・異称

白山大権現

はくさんだいごんげん

その他

白山妙理大権現

はくさんみょうりごんげん

その他

同一とされる神様

菊理媛神  

祀られている主な神社

村国神社
(岐阜県各務原市各務おがせ町3丁目46番地の1)
淀川神社
(大阪府都島区毛馬町1-2-11)
新山神社
(秋田県能代市字新山前97)
白山神社
(秋田県由利本荘市鳥海町上川内字道端95)
白山神社
(新潟県上越市大字大豆3057番地)