藤原広嗣
ふじわらのひろつぐ
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング221位
- 公家(貴族)
奈良 [~740年]
藤原広嗣とは?
藤原広嗣(?-740)は、奈良時代の貴族。藤原式家の祖・藤原宇合の長男。容姿端麗であり文武の才にも恵まれていたといわれている。737年、天然痘の流行によって聖武朝前半の権力者・藤原四兄弟が相次いで死去すると、広嗣は従六位上から従五位下、式部少輔を経て大養徳守を兼任した。しかし朝廷内で反藤原氏の流れが強く、また広嗣自身も協調性に欠けたため大宰少弐へ左遷。その後740年、広嗣は「様々な災厄の原因は反藤原氏の吉備真備と玄昉であるため、2人を追放すべき」とする上奏文を朝廷へ送るが、これが、2人を起用した橘諸兄に謀反であると受け取られた。この件で聖武天皇は広嗣に召喚の勅を発したが、広嗣は勅に従わずに、弟の綱手とともに大宰府や隼人の兵1万を率いて「藤原広嗣の乱」と呼ばれる反乱を起こした。しかし大野東人率いる討伐軍に敗れ、2か月後に弟・綱手とともに安倍黒麻呂によって捕らえられ、処刑された。この乱のおかげで藤原式家一族の多くが流罪などに処され、式家の衰退の原因となっている。また、広嗣の死後、広嗣の怨霊が祟ると風評が流れた。 奈良県奈良市高畑町にある鏡神社は、広嗣を主祭神として祀っている。鏡神社の本殿は、春日大社の御造営の時に旧本殿のうち第三殿を移築したものである。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
御霊神社
(奈良県奈良市薬師堂町24)
南都鏡神社
(奈良県奈良市高畑町486)
鏡神社
(佐賀県唐津市鏡1827)
御靈神社
(茨城県笠間市南吉原696番地)
御靈神社
(群馬県前橋市粕川町女渕1174番地1)
