穂井田元清
ほいだもときよ
- 歴史的人物
- 男神・男性

来福寺所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 武人
戦国~安土 [1551年~1597年]
穂井田元清とは?
穂井田元清(1551-1597)は戦国時代の武将。父親は毛利元就。三本の矢にたとえられた毛利隆元、吉川元春、小早川隆景に続く四男に当たる。長兄の3人は正室の子だが元清の母は側室乃美大方であった。16歳で元服した元清は備中猿掛城主の穂井田元資の養子となり、穂井田姓を名乗り来島通康の娘を娶った。父元就からは側室の子は虫けら以下とも揶揄されたこともあったが、織田信長の中国攻めの際には備中(岡山県矢掛町)矢掛城の守備に当たり奮戦、戦功をあげている。その後、元清の次男秀元が嫡子のいない毛利輝元の嗣子になったことから、穂井田姓から毛利姓に戻ることになる。元清は豊臣秀吉の世になった後も広島城築城の普請を行う、あるいは、朝鮮出兵の際には毛利軍の総大将となり虎を生け捕りにして秀吉に献上するなどの活躍を見せた。元清は朝鮮から戻るとほどなくして亡くなるが、嫡子に恵まれなかった輝元に代わり元清の子秀元の系統が江戸時代終焉まで毛利家の当主として引き継がれることになる。 元清は山口県下関市にある豊功神社に祭神として祀られている。豊功神社は秀元が築城する際に安芸国より宮崎八幡宮を勧請して創建した神社であり、その後秀元に豊功大明神の称号が下賜され明治時代になり豊功神社と改称した。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
穂田元清ほいだもときよ
その他
祀られている主な神社
豊功神社
(山口県下関市長府宮崎町四番一号)
