昭憲皇太后
しょうけんこうたいごう
- 歴史的人物
- 女神・女性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 皇族
江戸~明治 [1849年~1914年]
昭憲皇太后とは?
昭憲皇太后(1850‐1914)は明治天皇の皇后。左大臣一条忠香の三女。明治天皇の皇后ではあるが実子に恵まれなかった。明治天皇の側室の子である嘉仁親王を養子とし、後に大正天皇として践祚したために「大正天皇の母」という意味から皇太后の称号となっている。昭憲皇太后は社会振興事業や慈善事業に熱心に取り組んだ皇后であり、現在の学習院中等・高等学校である華族女学校や東京女子師範学校(御茶ノ水大学)などの設立にも大きく関わっている。また、慈善事業の面では日本赤十字社の前身である博愛社の発展に大きく寄与している。特に赤十字の活動には積極的に貢献され、1888年に磐梯山が噴火した際には赤十字社から医師を派遣し被災者の救護に当たるよう命じている。当時の赤十字は戦時下の兵士の救護が主な任務であり、戦場を離れた災害救助などに赴かせたことは当時では画期的な活動であった。また、赤十字国際会議においては災害・病気・貧困などの戦時以外の人道支援を趣旨として現在の3億5千万円に当たる日本円10万円を下賜した。現在においても「昭憲皇太后基金」として活かされ続けている。 昭憲皇太后は明治神宮に祭神として祀られている。明治天皇と夫婦で敬われている事から、家内安全や夫婦円満などのご利益が高いとされる。また、昭憲皇太后は社会福祉や女子教育の発展などに尽力されたことから世界平和などの観点からも崇敬されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
