建稲種命
たけいなだねのみこと
- 神話・伝説
- 男神・男性

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建稲種命とは?
建稲種命は古代の系譜や尾張地方の神社伝承などに登場する男神。建伊那陀宿禰とも呼ばれ、尾張氏や尾張国造につながる祖神として伝えられている。『先代旧事本紀』などの系譜では乎止与命と眞敷刀婢命の子で、熱田神宮と深い関係を持つ宮簀媛命の兄とされる。
『古事記』の応神天皇段には、尾張連の祖に関係する人物として建伊那陀宿禰の名が登場する。この建伊那陀宿禰を建稲種命と結びつける理解がある。一方、『古事記』には建稲種命が日本武尊の東征に同行したことや、海難によって亡くなったことは記されておらず、『日本書紀』の日本武尊東征の記事にも建稲種命の名は登場しない。
日本武尊との関係は『尾張国熱田太神宮縁起』などに詳しく伝えられている。同書では建稲種命は日本武尊の東国征討に副将軍として従ったとされる。日本武尊が東国へ向かう途中に尾張へ立ち寄った際には、建稲種命の妹である宮簀媛命と出会い、後に妃としたと伝えられている。宮簀媛命は日本武尊から草薙神剣を託したとされ、後の熱田神宮創祀につながる重要な女神となった。
東国での戦いを終えた後、建稲種命は日本武尊とは別の経路を通って尾張への帰途についたが、海上で暴風に遭い、船から海へ落ちて亡くなったと伝えられている。その知らせを受けた日本武尊は建稲種命の死を深く嘆いたという。こうした伝承から建稲種命は日本武尊の東征を支えた武将として、また尾張氏の祖先として尾張地方を中心に信仰されてきた。熱田神宮でも草薙神剣にゆかりの深い神として相殿に祀られている。
愛知県春日井市の内々神社にも建稲種命にまつわる伝承がある。日本武尊が建稲種命の海難死を知らされて「現哉々々」と嘆き、その霊を祀ったことが神社の起源になったと伝えられている。また愛知県西尾市の幡頭神社では、海難で亡くなった建稲種命の遺骸が当地に漂着し、人々がその霊を祀ったことを創建の由来とする伝承が残る。
愛知県知多郡南知多町の羽豆神社でも建稲種命が祀られている。知多半島には建稲種命と妻の玉姫にまつわる伝承が残り、玉姫が海へ出た夫の帰りを待ったという話も伝えられている。このように建稲種命は記紀の記事だけでは人物像を知ることが難しい一方、熱田神宮をはじめとする尾張地方の伝承では、日本武尊を助けた武将、宮簀媛命の兄、尾張氏の祖神として重要な位置を占めている。
エピソード
『尾張国熱田太神宮縁起』は、建稲種公が日本武尊の東征に従ったと伝える。東国の平定後、日本武尊は山道を、建稲種公は海道を通って尾張で再会する約束をした。帰路の駿河の海で、建稲種公は美しい声で鳴く鳥を見つけ、主君に献上しようと船で追ったが、風波が起こって船が沈み、海中に没したという。
尾張へ戻った日本武尊は、従者の久米八腹から訃報を聞いて深く悲しみ、「現哉、現哉」と嘆いた。縁起はこの言葉を内津の地名の由来としている。建稲種命の東征や海難、内津の由来は記紀の記事ではなく、熱田神宮に伝わる縁起や地域の神社伝承に記された物語である。縁起の奥書は寛平2年(890)とするが、成立年は確定していない。伝承の内容と、同時代に起きた史実とは分けて読む必要がある。
出典・参考:『尾張国熱田太神宮縁起』、春日井市『郷土誌かすがい』第70号「内々神社とヤマトタケル伝説」、稲生知子「九世紀の『尾張国熱田太神宮縁起』」
熱田神宮は、主祭神の熱田大神に加え、相殿神として天照大神、素盞嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命を祀る。神宮の説明では、この相殿の五柱は草薙神剣とゆかりが深く、宮簀媛命と建稲種命は尾張氏の遠祖として仰がれている。
建稲種命は、東征に従った人物として語られるだけでなく、熱田神宮の祭祀において尾張氏の祖神として祀られている。東征と海難を伝える物語は後世の縁起・地域伝承に属する一方、現在の熱田神宮では草薙神剣と関わる神々の一柱として祭られており、伝承上の人物像と現行の祭祀の両方から捉えられる。
出典・参考:熱田神宮公式サイト「御祭神」
出典文献
古事記
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
たけいなだねのきみ
その他
祀られている主な神社
熱田神宮
(愛知県熱田区神宮一丁目1番1号)
成海神社
(愛知県緑区鳴海町乙子山85番)
八劔社
(愛知県天白区野並3-239)
幡頭神社
(愛知県西尾市吉良町宮崎宮前60)
尾張戸神社
(愛知県瀬戸市十軒町913番)
