広瀬神社 大分県 - 神社ファン

有名度

前頭

広瀬神社

ひろせじんじゃ

大分県竹田市大字竹田2020

😞 🙁 😐 🙂 😄

大分県竹田市大字竹田2020

拝殿

Asturio Cantabrio(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

御祭神

主祭神

広瀬武夫命 ひろせたけおのみこと

合祀

竹田市を含む旧直入郡内の戦歿者等の霊1400余柱 たけたしをふくむきゅうなおいりぐんないのせんぼつしゃなどのみたま1400よはしら

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(2柱)」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

広瀬神社は大分県竹田市に鎮座する神社。御祭神は広瀬武夫命、竹田市を含む旧直入郡内の戦歿者等の霊1400余柱をまつる。
社格は旧県社。
広瀬武夫は明治元年(1868年)、岡藩士・広瀬重武の次男として竹田に生まれた。海軍軍人となってロシア駐在武官を務め、日露戦争では旅順港閉塞作戦に参加した。
明治37年(1904年)3月27日、広瀬武夫は閉塞船「福井丸」に乗り組み、旅順港閉塞作戦で戦死した。没後、海軍中佐に進級し、その功績は広く顕彰された。
その後、広瀬武夫命を祀る神社の創建が進められ、岡田啓介や地元の黒川健士らによって広瀬神社創建奉賛会が結成された。
昭和10年(1935年)5月に社殿が落成し、同年5月25日に鎮座祭が執り行われた。同日、広瀬神社は県社に列せられ、広瀬武夫命を祀る神社として創建された。
昭和23年(1948年)7月には、大分県直入郡遺族連合会が郡内の国家公共に尽くして亡くなった人々の霊を広瀬神社へ合祀することを議決した。翌昭和24年(1949年)に第1回の合祀が行われ、現在は広瀬武夫命とともに、竹田市を含む旧直入郡内の戦歿者など1400余柱を祀っている。
境内には広瀬武夫記念館があり、広瀬武夫に関する遺品や資料を展示している。また、鳥居前には広瀬武夫の胸像が建つ。この胸像は、明治40年(1907年)に彫刻家・渡辺長男が制作した全身像をもとに製作され、昭和48年(1973年)3月に設置された。
  • 県社
スポンサーリンク

神社詳細

摂末社・境内社

情報募集

例祭

情報募集

文化財

情報募集

建築

本殿 流造

神紋

情報募集

出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E7%80%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%AB%B9%E7%94%B0%E5%B8%82)