有名度
前頭上弓削神社
かみゆげじんじゃ
熊本県熊本市東区弓削町258
熊本県熊本市東区弓削町258

Simasakon (wikipedia CC 表示-継承 3.0)
上弓削神社以外にも 弓削法皇社 とも呼ばれます。
かんたんご利益
ご利益
農作物の豊穣 夫婦円満 子授け
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(1柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
上弓削神社は熊本県熊本市東区に鎮座する神社。御祭神は孝謙天皇の1柱をまつる。
社格は旧村社。
上弓削神社の創建年代は明らかではない。熊本市東区弓削町に鎮座し、白川左岸の集落に社地を構える。白川を挟んだ対岸には弓削神宮があり、上弓削神社は古くから弓削法皇社とも呼ばれてきた。
祭神は孝謙天皇である。孝謙天皇は聖武天皇の第二皇女として生まれ、母は光明皇后であった。天平勝宝元年(749年)、聖武天皇の譲位を受けて即位し、第46代天皇となった。その後、天平宝字2年(758年)に淳仁天皇へ譲位し、孝謙上皇となった。
孝謙上皇の時代には、僧の弓削道鏡が朝廷で大きな影響力を持つようになった。道鏡は上皇の病気平癒に尽力したとされ、その後、上皇の信任を受けて政界へ進出した。一方、藤原仲麻呂は淳仁天皇を擁立して勢力の維持を図り、天平宝字8年(764年)に挙兵したが敗れた。
同年、孝謙上皇は再び即位し、称徳天皇となった。道鏡は称徳天皇のもとで重用され、太政大臣禅師を経て法王の地位にまで昇った。その後、宇佐八幡宮の神託をめぐる出来事では和気清麻呂が朝廷に派遣されるなど、当時の政治を大きく揺るがす出来事が続いた。宝亀元年(770年)に称徳天皇が崩御すると、道鏡は下野国へ移された。
上弓削神社には、この孝謙天皇と弓削道鏡に関わる伝承が伝えられている。神社の別名である弓削法皇社も、道鏡の姓である「弓削」と、法王となった経歴にちなむ名称として伝承されている。
例祭は毎年10月15日に執り行われ、現在も地域の人々によって祭祀が受け継がれている。
社格は旧村社。
上弓削神社の創建年代は明らかではない。熊本市東区弓削町に鎮座し、白川左岸の集落に社地を構える。白川を挟んだ対岸には弓削神宮があり、上弓削神社は古くから弓削法皇社とも呼ばれてきた。
祭神は孝謙天皇である。孝謙天皇は聖武天皇の第二皇女として生まれ、母は光明皇后であった。天平勝宝元年(749年)、聖武天皇の譲位を受けて即位し、第46代天皇となった。その後、天平宝字2年(758年)に淳仁天皇へ譲位し、孝謙上皇となった。
孝謙上皇の時代には、僧の弓削道鏡が朝廷で大きな影響力を持つようになった。道鏡は上皇の病気平癒に尽力したとされ、その後、上皇の信任を受けて政界へ進出した。一方、藤原仲麻呂は淳仁天皇を擁立して勢力の維持を図り、天平宝字8年(764年)に挙兵したが敗れた。
同年、孝謙上皇は再び即位し、称徳天皇となった。道鏡は称徳天皇のもとで重用され、太政大臣禅師を経て法王の地位にまで昇った。その後、宇佐八幡宮の神託をめぐる出来事では和気清麻呂が朝廷に派遣されるなど、当時の政治を大きく揺るがす出来事が続いた。宝亀元年(770年)に称徳天皇が崩御すると、道鏡は下野国へ移された。
上弓削神社には、この孝謙天皇と弓削道鏡に関わる伝承が伝えられている。神社の別名である弓削法皇社も、道鏡の姓である「弓削」と、法王となった経歴にちなむ名称として伝承されている。
例祭は毎年10月15日に執り行われ、現在も地域の人々によって祭祀が受け継がれている。
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%BC%93%E5%89%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%BC%93%E5%89%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE
