有名度
前頭摩利支神社
まりしじんじゃ
福岡県宗像市東郷1丁目6−17
福岡県宗像市東郷1丁目6−17

かんたんご利益
- 仕事
- 学業
- 家庭
- 勝負
摩利支神社には
「仕事系」「学業・技芸系」「家庭系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
勝運 商売繁昌 家内安全 学問成就
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(1柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
摩利支神社は福岡県宗像市に鎮座する神社。御祭神は天之御中主大神の1柱をまつる。
社格は旧村社。
摩利支神社の創建は、古い縁起によれば朱鳥5年と伝えられる。宗像大領の秋恵氏が、郡の中央にあたる東江郷(現在の東郷)に天之御中主大神を奉斎したとされる。
往古より宗像大宮司が代々崇敬した神社と伝えられ、中世には修験と関わる葛城神社に奉仕したことから摩利支天と称された。宗像郡内の各村からは、社殿の営繕や祭典の費用が納められていた。
元禄13年(1700年)の大洪水により、社殿をはじめとする施設が流出した。その後、福岡藩第4代藩主黒田光之の命により、郡奉行大森善右衛門が現在地の榎圃に社殿を再建した。以後も寛延元年(1748年)、宝暦8年(1758年)、天明2年(1782年)、寛政3年(1791年)、文政2年(1819年)に再建や修復が行われている。
明治3年(1870年)には葛城神社へ改称されたが、明治28年(1895年)3月28日に摩利支神社へ復称することが認可された。明治22年(1889年)頃からは氏子や崇敬者の寄進によって境内の整備が進められ、明治35年(1902年)には川島田造の寄進により社殿が造営された。
昭和53年(1978年)には社殿改築を目的として摩利支神社復興奉賛会が結成され、昭和54年(1979年)10月2日に御遷座祭、昭和55年(1980年)5月3日に竣功奉祝祭が執り行われた。
現在も春季大祭が5月8日、例大祭が10月8日・9日に斎行され、例大祭では神幸祭も行われる。近年は10月第2土曜日・日曜日に開催される秋季大祭として親しまれている。
社格は旧村社。
摩利支神社の創建は、古い縁起によれば朱鳥5年と伝えられる。宗像大領の秋恵氏が、郡の中央にあたる東江郷(現在の東郷)に天之御中主大神を奉斎したとされる。
往古より宗像大宮司が代々崇敬した神社と伝えられ、中世には修験と関わる葛城神社に奉仕したことから摩利支天と称された。宗像郡内の各村からは、社殿の営繕や祭典の費用が納められていた。
元禄13年(1700年)の大洪水により、社殿をはじめとする施設が流出した。その後、福岡藩第4代藩主黒田光之の命により、郡奉行大森善右衛門が現在地の榎圃に社殿を再建した。以後も寛延元年(1748年)、宝暦8年(1758年)、天明2年(1782年)、寛政3年(1791年)、文政2年(1819年)に再建や修復が行われている。
明治3年(1870年)には葛城神社へ改称されたが、明治28年(1895年)3月28日に摩利支神社へ復称することが認可された。明治22年(1889年)頃からは氏子や崇敬者の寄進によって境内の整備が進められ、明治35年(1902年)には川島田造の寄進により社殿が造営された。
昭和53年(1978年)には社殿改築を目的として摩利支神社復興奉賛会が結成され、昭和54年(1979年)10月2日に御遷座祭、昭和55年(1980年)5月3日に竣功奉祝祭が執り行われた。
現在も春季大祭が5月8日、例大祭が10月8日・9日に斎行され、例大祭では神幸祭も行われる。近年は10月第2土曜日・日曜日に開催される秋季大祭として親しまれている。
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