博多べい | 櫛田神社 - 神社ファン

有名度

関脇

櫛田神社

くしだじんじゃ

福岡県福岡市博多区上川端町1−41

博多べい

更新日:2025年7月21日

博多の歴史を今に伝える「博多べい」

拝殿を右手に進み、裏参道に出ると左手に「博多べい」を見ることができます。瓦屋根を載せた風格ある土塀で、右方ではその断面を見学することが可能です。手前に立つ石柱には「博多べい」の名が刻まれており、この土塀がかつての博多の町並みを今に伝える貴重な遺構であることを伝えています。
博多べい
戦国時代、博多は大友氏、毛利氏、島津氏らの激しい争奪戦により焼け野原となりました。1587年、九州平定を遂げた豊臣秀吉は、石田三成や小西行長らに命じて大規模な戦災復興「太閤町割り」に着手したと伝わります。博多べいはその過程で作られた土塀で、焼け跡に残された焼け石や焼け瓦を材料としたものです。この工法は、当時の主要な貿易相手であった李氏朝鮮の影響を受けています。
復興した博多の街には多くの博多べいが築かれました。特に神社仏閣や豪商の屋敷では長大な土塀が連なり、なかには八丁(約90メートル)に及ぶものもあったと言われています。当時、この土塀は「博多八丁塀」と呼ばれていました。
博多べイアップ
博多べいは第二次世界大戦前まで町中のあちこちに残っていましたが、福岡大空襲で島井宗室の屋敷跡のものを除いてすべてが焼失したと伝わります。さらに高度経済成長期の再開発の波の中、この最後に残った博多べいも取り壊しの危機に瀕しました。しかし有志たちの尽力により櫛田神社の境内に移築され、今日に至っています。

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