宝満山(上宮・拝礼岩) | 竈門神社 - 神社ファン

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関脇

竈門神社

かまどじんじゃ

福岡県太宰府市大字内山883

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宝満山(上宮・拝礼岩)

更新日:2026年7月22日

上宮・拝礼岩

標高829mの宝満山は、古くから神が宿る霊山として崇敬されてきた山です。竈門神社の信仰はこの宝満山を中心に発展し、山頂には奥宮にあたる上宮が鎮座しています。現在でも多くの登山者や参拝者が山頂を目指して登拝し、山全体が神域として大切に守られています。
宝満山Miya.m(wikipedia CC 表示-継承 3.0)
山頂に鎮座する上宮は、下宮とともに竈門神社を構成する重要な社です。宝満山へ登拝した人々は、この上宮で玉依姫命へ感謝や願いを捧げてきました。標高829mの山頂からは筑紫平野を一望でき、古くから多くの人々が祈りを捧げてきた霊山ならではの厳かな空気を感じることができます。
竈門神社 上宮
上宮のそばには、神様が最初に降臨したと伝わる巨大な「拝礼岩」があります。この岩は古くから神が宿る磐座(いわくら)として信仰されてきました。岩には「肇祉(ちょうし)」の文字が刻まれており、玉依姫命をお祀りする霊地であることを示しています。社殿が整えられる以前から自然そのものを神として崇めてきた、日本古来の自然信仰を今に伝える貴重な場所です。
竈門神社 拝礼岩
宝満山は古代より国家とも深い関わりを持つ霊山でした。遣隋使や遣唐使など大陸へ渡る人々は、航海の安全や使命の成就を願ってこの山へ登拝したと伝えられています。また、大宰府政庁の鬼門に位置することから国家鎮護の霊山として重視され、朝廷や武士からも篤い崇敬を受けました。
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平安時代末から鎌倉時代にかけては、山中に350を超える坊舎が建ち並び、多くの高僧や修験者が集う九州有数の山岳信仰の中心地として栄えました。戦国時代には戦乱の影響を受けましたが、その後は豊臣秀吉や小早川隆景、さらに福岡藩主・黒田氏歴代藩主の寄進によって再興され、再び信仰の山として発展します。
宝満山 登山道
しかし、明治時代の神仏分離令によって修験道は廃止され、多くの仏教施設や仏像が失われ、修験者たちも下山を余儀なくされました。それでも宝満山への信仰は受け継がれ、1982(昭和57)年には開祖・心蓮上人の1300年忌を機に宝満山修験会が結成されます。現在も毎年5月には山伏による護摩祈祷「採燈大護摩供(さいとうだいごまく)」が執り行われ、古くから続く修験道の伝統が今に継承されています。
上空からみた宝満山頂上
2013(平成25)年、宝満山は国家的祭祀が継承されてきた霊山として国史跡に指定されました。この指定は、山そのものの自然ではなく、古代から続く祭祀や信仰の歴史が高く評価されたものです。このような理由で国史跡に指定された霊山は全国でも極めて少なく、鳥海山、富士山に続く3例目となっています。

下宮から山頂までは本格的な登山となりますが、その道のりには1300年以上にわたる信仰の歴史が息づいています。上宮と拝礼岩を訪れれば、宝満山が単なる登山の目的地ではなく、古代から現代まで祈りが受け継がれてきた霊山であることを実感できるでしょう。

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