薫的神社 - 神社ファン

有名度

前頭

薫的神社

くんてきじんじゃ

高知県高知市洞ケ島町5番7号

高知県高知市洞ケ島町5番7号

かんたんご利益

  • 学業
  • 勝負
薫的神社には

「学業・技芸系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

学問の神 勝運の神

御祭神

薫的大神 くんてきおおかみ

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(1柱)」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

薫的神社は高知県高知市に鎮座する神社。御祭神は薫的大神の1柱をまつる。
薫的和尚は、寛永2年(1625年)に生まれたと伝えられている。父は池田中納言薫友卿、母は四万十市の康松安兵衛の娘・於萬の方とされる。
15才で出家得度し、22才まで修行を重ねた。その後、香美郡土佐山田町楠目の豫岳寺住職となった。詩歌、俳句、絵画、彫刻に秀で、武術の稽古も行っていたと伝えられている。後に洞ヶ島の禅宗曹洞宗瑞應寺へ移り、瑞應寺第17世住職となった。瑞應寺は長宗我部元親の菩提寺として知られ、土佐藩でも有力な寺院であった。
長宗我部家滅亡後、山内家が土佐国へ入国した。山内家の菩提寺として高知市潮江に眞如寺が建立され、瑞應寺と眞如寺は同じ曹洞宗寺院として並び立つこととなった。
寛文4年(1664年)11月24日、2代藩主山内忠義が薨去した。眞如寺住職了谷は忠義の戒名を「竹巖院殿龍山雲公大居士」と定めた。この頃、薫的和尚は同年7月から寛文9年(1669年)8月まで、輪番として周防国長源寺へ出向していた。
寛文10年(1670年)11月、山内忠義の第7回忌法会が営まれた。薫的和尚は法会の席で戒名の改撰を求め、さらに瑞應寺が眞如寺より下位に置かれた座列にも抗議した。
薫的和尚は宗門支配寺院である周防国長源寺へ訴えることを決め、訴状を脇寺の芳心院敬山へ託した。しかし芳心院は眞如寺へ内通し、その報せを受けた藩の重役らによって薫的和尚は入獄した。
薫的和尚は獄中で食を断ち、寛文11年(1671年)旧1月10日に亡くなった。享年47才であった。薫的神社所蔵の位牌には、「寛文11年辛亥年正月10日 前總持瑞應17世栽山康和尚禅師」と刻まれている。
享保12年(1727年)10月24日、薫的和尚の墓は高知市江ノ口洞ヶ島の瑞應寺境内へ改葬された。明治維新後の神仏分離と廃仏毀釈によって瑞應寺は廃寺となり、明治3年(1870年)に洞ヶ島神社の社号が用いられた。昭和24年(1949年)11月には、薫的大神の御名を冠して薫的神社へ改称された。
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神社詳細

公式URL

摂末社・境内社

境内社 白椿神社
牛的和尚
境内社 神社名不明
境内社 神社名不明

例祭

歳旦祭・初詣 1月1日
お火焚き神事 2月1日
節分祭 2月3日
ご命日祭 2月中旬
輪抜け祭 6月30日
夏祭り 7月29日
栽山会合同慰霊祭 9月23日
七五三 11月15日
秋祭り 11月29日
大祓い式・除夜祭 12月31日
月常祭 毎月旧暦9日

文化財

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建築

情報募集

神紋

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出典
公式サイト
http://www.kunteki-jinjya.com/