薫的 神社の神様 - 神社ファン

薫的

くんてき

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
薫的

表記なし

祭神ランキング1003位

  • 僧侶

江戸 [1625年~1671年]

薫的とは?

薫的(1625-1671)は江戸時代の人物。池田中納言薫友の子。土佐国の国主の家臣の家に生まれる。15歳で出家し、22歳で予岳寺(高知県香美市)の住職となる。学問や詩歌などに加え、武術にも長けていた。予岳寺の住職を経て、長曾我部元親の菩提寺でもある瑞応寺(高知県高知市)の住職となる。薫的が住職となった瑞応寺は、土佐第一の大寺であったが、長宗我部から山内へと国主が変わったことで、山内氏の菩提寺として建てられた眞如寺(高知県高知市)とその立場を争うこととなる。薫的が輪番で瑞応寺を留守にした1664年、山内藩2代藩主山内忠義が死去。薫的は、忠義に用意された法名が適当ではないこと、忠義の法会の席が眞如寺よりも下の席であったことを不服として抗議するが、聞き入れられず、最終的に投獄される。無実の罪への抗議のため、断食ののち、自ら舌を噛み切り、亡くなった。 薫的は、薫的神社(高知県高知市)に祀られている。薫的神社は、薫的が住職を務めた瑞応寺に建てられた薫的堂が、明治に廃寺になったことから、神社へと改められたものである。学問、芸術、武術とさまざまな才能に恵まれた薫的を勝運の神様として祀っており、必勝祈願や試験合格などのご利益がある。

ご神徳

勝運招来 学業成就 技芸上達

祀られている主な神社

薫的神社
(高知県高知市洞ケ島町5番7号)
磐上神社
(高知県高知市三の丸62番)