豊榮神社 山口県 - 神社ファン

有名度

前頭上位

豊榮神社

とよさかじんじゃ

山口県山口市天花一丁目一番一号

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山口県山口市天花一丁目一番一号

参道と神門

663highland(wikipedia CC 表示 2.5)

かんたんご利益

  • 学業
  • 家庭
  • 勝負
豊榮神社には

「学業・技芸系」「家庭系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

勝運 学業成就 家内安全

御祭神

庁

主祭神

毛利元就公 もうりもとなりこう

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(1柱)」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

豊榮神社は山口県山口市に鎮座する神社。御祭神は毛利元就公の1柱をまつる。
社格は旧別格官幣社、現在は別表神社。
豊榮神社の前身は、江戸時代初期に毛利元就の孫・毛利輝元が元就の霊を祀ったことに始まる。関ヶ原の戦い後、毛利氏は安芸国から長門国・周防国へ移り、輝元は萩に居城を構えた。輝元は萩の江向村に鎮座していた春日神社に元就の霊を祀り、慶長12年(1607)3月には春日神社を萩城内の三の郭へ遷した。
宝暦12年(1762)、長州藩7代藩主の毛利重就は、萩城二の郭にあった土地神社を改造し、春日神社から元就の霊を遷した。ここには毛利氏の始祖とされた天穂日命も祀られ、神社は神性霊社と称された。
明和7年(1770)、元就は仰徳大明神と称され、神社も仰徳社と呼ばれるようになった。
明治2年(1869)2月3日、明治天皇から元就の神霊に「豊栄」の神号が授けられた。同年10月3日には山口の多賀神社境内に仮殿が造営され、元就の神霊が萩の仰徳社から遷座し、豊榮神社と称するようになった。
明治4年(1871)、山口の野田七尾山麓に社殿が造営され、同年12月9日に元就の神霊が多賀神社の仮殿から現在地へ遷座した。明治6年(1873)に県社となり、明治15年(1882)には別格官幣社に列せられた。西隣には毛利敬親を祀る野田神社が鎮座し、明治19年(1886)に現在地へ遷座している。
境内には本殿や拝殿などの社殿が建つ。拝殿前には明治14年(1881)頃に造られたコンクリート製の用水溜が残されている。
豊榮神社が所有する「絹本著色毛利元就像」は国の重要文化財に指定され、山口県立山口博物館に寄託されている。永禄5年(1562)、元就の長男・毛利隆元が父の姿を描かせ、南禅寺の仁如集堯に賛を求めたもので、当時66歳だった元就を描いた寿像である。縦97cm、横49.8cmの掛幅装で、直衣と侍烏帽子を身につけ、扇を持って座る元就の姿が描かれている。昭和44年(1969)6月20日に重要文化財に指定された。
境内には、毛利元就の「百万一心」の文字を写した額も奉納されている。
  • 別表神社
  • 別格官幣社
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神社詳細

摂末社・境内社

情報募集

例祭

御正祭 7月16日
例祭 10月1日
御正祭 5月17日(主祭神)・12月23日(配祀神)

文化財

絹本著色毛利元就像1幅
国 重要文化財
絵画 昭和44年6月20日指定

建築

本殿 三間社流造銅板葺

神紋

情報募集

出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E6%A6%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%83%BB%E9%87%8E%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE
国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp
山口県神社庁
http://www.yamaguchi-jinjacho.or.jp/
[書籍]ご利益めぐり全国神社誌
巖谷小波・神社神徳研究会、展望社、1997年