宝くじ当選など金運アップで人気の金持神社 | 金持神社 - 神社ファン

有名度

関脇

金持神社

かねもちじんじゃ

鳥取県日野郡日野町金持74番

😞 🙁 😐 🙂 😄

宝くじ当選など金運アップで人気の金持神社

更新日:2026年9月11日

金持神社とは?

金持神社は、「金持」という縁起の良い名前から金運アップのご利益で知られ、宝くじの当選や商売繁盛などを願って全国から参拝者が訪れる神社です。
「金持」という名を冠する神社は全国でも珍しく、その名前から「かねもちじんじゃ」と読んでしまいそうですが、正しくは「かもちじんじゃ」と読みます。
山あいに鎮座する小さな神社ですが、金運の神社として全国的に知られています。実際に宝くじやロトなどに当選した人がお礼参りに訪れ、当選の喜びを記した絵馬も数多く奉納されています。
金持神社鳥居の扁額

金持神社の由来

金持神社の創建は弘仁元年(810)と伝えられています。
出雲国薗妙見宮の神官の次男が伊勢神宮へ向かう際、道中安全の御守として玉石を袋に入れて旅をしていました。現在の金持神社が鎮座する金持の地に差しかかると、玉石を入れた袋が突然重くなり、どうすることもできなくなったため、玉石をその場に置いて伊勢へ向かったと伝えられています。
同じころ、現在の宮司家である梅林家の吉郎左衛門が「宮造りをするように」との神夢を見たことから、この玉石を金持の氏神として祀り、神社を創建したと伝えられています。
金持神社参道入口
元弘3年(1333)には、この地の豪族である金持大和守景藤が、隠岐を脱出した後醍醐天皇を奉じ、金持党300騎を率いて討幕軍に参加しました。景藤は出陣に際して金持神社で必勝を祈願したと伝えられています。
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「金持」という名前の由来

金持神社が鎮座する一帯は、古くから鉄の産地でした。当時、鉄は「黄金にも勝る」と大切にされていたといいます。
金持村には狩山・野谷山・平畠山という3つの鉄山があり、「鉄山を持つ村」という意味から「かなもち」と呼ばれ、それが縮まって「かもち」になったと伝えられています。
現在も残る「金持」という縁起の良い地名は全国でここだけとされます。古くから金持と呼ばれていた土地に鎮座する神社ですが、「金持神社」の名が使われるようになったのは明治6年(1873)です。
金持党発祥地の碑

金持神社が金運で人気の理由

日本では古くから、縁起の良い言葉や語呂に願いを託す習慣があります。
神社のお賽銭に5円玉を入れて「ご縁」を願ったり、おせち料理に「まめに暮らす」に通じる黒豆、「よろこぶ」に通じる昆布、「めでたい」に通じる鯛を用いたりするのもその一例です。反対に、受験では「滑る」「落ちる」、結婚式では「切る」「別れる」といった縁起の悪い言葉を避けることがあります。
こうした縁起を大切にする日本の文化を考えると、「金持」という名前そのものが金運を願う人々を引きつけるようになったのも不思議ではありません。
石段の上の金持神社社殿
金持神社が現在のような金運の神社として注目されるようになったのは昭和後期からとされています。「金持」という縁起の良い名前が知られるようになり、参拝後に宝くじが当たったといった話が広がったことで、金運を願う参拝者が増えていきました。
その評判を物語るのが、金持神社に奉納された数多くの絵馬です。宝くじやロトなどの当選を報告する絵馬があり、金持神社札所の寄せ書き帳にも、お礼参りに訪れた人たちの喜びの声が残されています。
なかにはジャンボ宝くじで3億円に当選したという報告や、ロト6・競馬・宝くじで当選したという報告、ナンバーズ4に2回当選したという報告も紹介されています。鳥取県公式観光サイトでも、奉納された絵馬には多くの当選報告が記されていることが紹介されています。
当選絵馬
現在では金運招福や商売繁盛のほか、新しく購入した財布の金運を願う「財布祈願」や「財布御祓」も行われています。金運に特化した御守も用意されており、財布に入れて持ち歩く「財布用 金運御守」などが授与されています。
「金持」という縁起の良い名前から注目され、宝くじなどの当選話が広まり、当選した人がお礼参りに訪れる。こうして金持神社は、山あいに鎮座する小さな神社でありながら、全国から金運アップを願う人が訪れる神社として知られるようになりました。

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