有名度
前頭浜王子
はまおうじ
和歌山県新宮市熊野地5158-2
和歌山県新宮市熊野地5158-2

KMR(wikipedia CC 表示-継承 3.0)
かんたんご利益
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(2柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
浜王子は和歌山県新宮市に鎮座する神社。御祭神は稲飯命、三毛入野命の2柱をまつる。社格は旧村社。
創建年代は明らかでない。伝承では、神武東征の際に熊野灘で嵐に遭い、稲飯命と三毛入野命が海に身を投じた出来事に関わる社とされる。新宮市の資料では、祭神は神武天皇の皇兄にあたる2柱とされている。
中世の熊野御幸では、熊野本宮大社への参詣の後、熊野川を舟で下り、熊野速玉大社を経て熊野那智大社へ向かう経路がとられた。この区間には複数の王子社が存在したとされ、新宮市域にはそのうち2社が現在も残る。浜王子はその一つである。
建仁元年(1201年)の『熊野御幸記』には浜王子の名は記されていないが、「此道又王子数多御座」との記述がある。承元4年(1210年)の修明門院参詣記には、新宮と那智の間に阿須賀、高蔵、佐野、一及野の4王子が記録されている。浜王子の名が史料上に現れるのは、文明5年(1474年)の『九十九王子記』である。
江戸時代の『紀伊続風土記』には、方3尺6寸余の小祠と5尺の鳥居を備えた「浜王子社」として記載されている。明治12年(1879年)には阿須賀神社へ合祀され、その後、大正15年(1926年)に村社として独立した。
現在の社殿は王子社の形態を伝え、地元では王子権現として参詣されている。境内はかつて松林に囲まれていたが、昭和21年(1946年)の昭和南海地震の後、周辺は住宅地へと変化した。
浜王子は熊野九十九王子の一社に数えられ、境内地は昭和34年(1959年)1月8日に和歌山県指定史跡「浜王子跡」となっている。例祭は2月17日に行われる。
創建年代は明らかでない。伝承では、神武東征の際に熊野灘で嵐に遭い、稲飯命と三毛入野命が海に身を投じた出来事に関わる社とされる。新宮市の資料では、祭神は神武天皇の皇兄にあたる2柱とされている。
中世の熊野御幸では、熊野本宮大社への参詣の後、熊野川を舟で下り、熊野速玉大社を経て熊野那智大社へ向かう経路がとられた。この区間には複数の王子社が存在したとされ、新宮市域にはそのうち2社が現在も残る。浜王子はその一つである。
建仁元年(1201年)の『熊野御幸記』には浜王子の名は記されていないが、「此道又王子数多御座」との記述がある。承元4年(1210年)の修明門院参詣記には、新宮と那智の間に阿須賀、高蔵、佐野、一及野の4王子が記録されている。浜王子の名が史料上に現れるのは、文明5年(1474年)の『九十九王子記』である。
江戸時代の『紀伊続風土記』には、方3尺6寸余の小祠と5尺の鳥居を備えた「浜王子社」として記載されている。明治12年(1879年)には阿須賀神社へ合祀され、その後、大正15年(1926年)に村社として独立した。
現在の社殿は王子社の形態を伝え、地元では王子権現として参詣されている。境内はかつて松林に囲まれていたが、昭和21年(1946年)の昭和南海地震の後、周辺は住宅地へと変化した。
浜王子は熊野九十九王子の一社に数えられ、境内地は昭和34年(1959年)1月8日に和歌山県指定史跡「浜王子跡」となっている。例祭は2月17日に行われる。
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E7%8E%8B%E5%AD%90
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E7%8E%8B%E5%AD%90
