有名度
関脇湊川神社
みなとがわじんじゃ
兵庫県神戸市中央区多聞通3丁目1−1
楠公祭
更新日:2026年11月5日
楠木正成公とご一族の偉業を称えるお祭り
楠公祭は、1336年(延元元年)5月25日に湊川の戦いで殉節された楠木正成公とご一族をお慕いし、その偉業と御遺徳を称える湊川神社の祭典です。正成公のご命日である5月25日を本祭として、前日の24日に宵宮祭、翌26日に翌日祭が行われ、3日間にわたってさまざまな祭典や奉納行事が執り行われます。
本祭では本殿において祝詞奏上や舞などが奉納されます。巫女がタチバナの枝を手に舞う湊川神社独自の神楽「橘の舞」も、楠公祭などの大祭で奉奏される舞です。
正成公は橘氏の流れをくむと称しており、湊川神社では菊水紋とともに橘紋も用いられています。「橘の舞」は、こうした正成公と橘の縁にもつながる湊川神社ならではの神楽です。
祭典にあわせて剣舞や吟詠、歌など楠公ゆかりのさまざまな奉納も行われ、正成公とご一族を偲ぶ人々で境内が賑わう3日間となります。
楠公武者行列
楠公祭を代表する壮大な行事が「楠公武者行列」です。その始まりは、湊川神社創建から2年後の1874年(明治7年)までさかのぼります。この年に神輿渡御が行われ、大楠公を大将とする騎馬武者が神輿に供奉したことが御神幸「楠公武者行列」の起源です。行列が表現しているのは、正成公が隠岐から還幸された後醍醐天皇を兵庫の津でお迎えし、京都まで先導した際の晴れやかな姿です。湊川の戦いにおける正成公の最期を再現するものではなく、建武中興に大きな功績を残した正成公の晴れ姿を称える行列となっています。
かつては「みなと神戸の華」と謳われ、「神戸に夏を告げる風物詩」として市民に親しまれていました。
特に大規模な行列となったのが、1935年(昭和10年)の大楠公殉節600年祭です。南北朝時代の有職故実に即するため専門家による厳密な時代考証が行われ、衣装や武具などが可能な限り当時の姿に近づけて新調されました。
この時の武者行列は総勢3,000名を超え、行列は三十余町にも及ぶ空前の規模となりました。当時の新聞は沿道の見物客を50万人と伝えており、神戸の街に南北朝時代の壮大な歴史絵巻が出現しました。
戦後は規模を縮小しながらも1965年(昭和40年)まで毎年行われていましたが、その後、地下鉄工事や道路などの公共事業の影響によって中断しました。

現在の楠公武者行列は、甲冑姿の騎馬武者たちが連なる勇壮な「前陣武者列」、金色に輝く大神輿を中心とした「神幸列本社」、正成公の御夫人・甘南備大神をお乗せした葱華輦と稚児たちが続く「神幸列甘南備神社」の3部で構成されています。
騎馬武者26騎をはじめ、騎馬女房など全69役、総勢約700名が参加し、行列の長さは約1kmにも及びます。大鎧をはじめとする装束は、南北朝時代の姿を再現するため厳密な時代考証が行われたもので、色鮮やかな甲冑や装束を身につけた騎馬武者、大神輿、葱華輦、稚児たちが連なる光景は、この武者行列最大の見どころです。
行列は湊川神社を出発し、新開地やハーバーランドなど神戸の市街地を巡ります。近代的な神戸の街並みを背景に、甲冑姿の武者たちが馬に乗って進む光景は、楠公武者行列ならではのものです。
1874年の始まりから150年以上。戦前には50万人もの人々を集め、長い中断を経ながらも受け継がれてきた楠公武者行列は、楠木正成公の歴史を現代の神戸によみがえらせる湊川神社を代表する伝統行事です。
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