殉節地 | 湊川神社 - 神社ファン

有名度

関脇

湊川神社

みなとがわじんじゃ

兵庫県中央区多聞通3丁目1−1

殉節地

更新日:2025年12月25日

楠木正成公が最期を迎えた地

境内の北西に、楠木正成公をはじめ一族が最期を迎えた殉節地があります。1951年(昭和26年)に国の史跡「楠木正成戦没地」として指定されました。石階段に門が据えられており、奥には小高く土が盛られ、周囲は注連縄で囲われています。
殉節地
1336年(延元元年)5月25日、湊川合戦が行われました。炎天下での足利軍との激戦の末、正成公は湊川北方の民家に退いたと伝わります。もはやこれまでと覚悟された正成公は、弟・正季卿と「七度生まれ変わっても朝敵を滅ぼす」と「七生滅賊」を誓い合い、刺し違えました。73人の一族郎党も同じく自刃し、正成公はその壮烈無双な生涯をここで閉じられたのです。
現在この地には、楠公を偲ぶ人々が奉納した燈籠が残されています。佐賀藩「楠公義祭同盟」出身の大隈重信、江藤新平、大木喬任がそれぞれ奉納した大燈籠や、湊川神社創建に深く寄与した伊藤博文が奉納した燈籠など、幕末から明治にかけて正成公を敬慕した人々の足跡を見ることができます。
殉節地の中

正成公の御首が眠る菩提寺

殉節地で最期を迎えた正成公の御首は、京でさらされた後、敵将であった足利尊氏の命により菩提寺へ届けられました。その菩提寺が、大阪府河内長野市にある観心寺です。現在も境内に「楠公首塚」として祀られています。
楠木正成首塚Uploader (hamilton)(wikipedia CC 表示-継承 3.0)
観心寺は楠木氏の菩提寺であり、正成公が少年時代に仏道を学んだ場所でもあります。境内には首塚のほか、正成公が後醍醐天皇の命を受けて建立に着手したものの未完に終わった「建掛塔」も残されています。湊川神社から車で約1時間40分、正成公ゆかりの地を巡る際にはぜひ訪れたい場所です。

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