水戸光圀公像 | 湊川神社 - 神社ファン

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関脇

湊川神社

みなとがわじんじゃ

兵庫県神戸市中央区多聞通3丁目1−1

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水戸光圀公像

更新日:2026年11月5日

楠公墓碑建立の功績を讃えた銅像

大楠公御墓所の傍らには、「水戸黄門」として広く知られる水戸藩主・徳川光圀公の銅像が建っています。光圀公は楠木正成公を深く敬慕した人物で、現在も墓所に残る「嗚呼忠臣楠子之墓」を建立しました。この銅像は、その功績を後世に伝えるために建てられたものです。
水戸光圀公像
光圀公は1690年(元禄3年)に水戸藩主を退き、西山荘で隠居生活を送りながら『大日本史』の編纂を進めました。楠木正成公の忠節を高く評価していた光圀公は、1692年(元禄5年)に家臣の佐々木宗淳を遣わし、183両余をかけて楠公墓碑を建立します。同年12月21日に完成した墓碑には、光圀公自筆による「嗚呼忠臣楠子之墓」の8文字が刻まれました。墓碑建立後、この地には多くの人々が参詣するようになり、楠公崇敬が全国へ広がっていきました。
水戸光圀公像と紹介の石碑
湊川神社では、この墓碑建立の功績を追慕して光圀公の銅像建立を発願しました。委員長に小倉正恒氏を迎え、1955年(昭和30年)7月11日に完成しています。原型を手がけたのは、高村光雲や朝倉文夫とともに近代日本を代表する彫刻家として知られる平櫛田中(ひらくしでんちゅう)です。
銅像が表現しているのは、華やかな藩主時代の光圀公ではありません。湊川神社では「西山荘にご隠居のお姿を如実にお映ししている」と伝えています。楠公墓碑建立に着手したのも西山荘隠居後のことであり、墓所の傍らに建つ光圀公像は、現在目の前にある「嗚呼忠臣楠子之墓」と深く結びついた姿なのです。
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彫刻家「平櫛田中」

水戸光圀公像を手がけた平櫛田中は、明治から昭和にかけて活躍した彫刻家です。少年期から木彫に興味を持ち、1893年(明治26年)に中谷省古に弟子入りして本格的に木彫の道へ進みました。その後、100歳を超えても制作を続け、1962年(昭和37年)には文化勲章を受章しています。
代表作として知られるのが、歌舞伎舞踊「春興鏡獅子」を題材とした「鏡獅子」です。平櫛田中は1937年(昭和12年)、歌舞伎座で六代目尾上菊五郎が演じた「鏡獅子」に25日間通い続け、さまざまな場所から舞台を観察して作品のポーズを練ったと伝えられています。構想から完成まで約20年もの歳月を費やした生涯の大作で、国立劇場を代表する美術作品のひとつとなりました。
湊川神社では、水戸光圀公像以外にも平櫛田中の作品を見ることができます。本殿奥の御扉近くには一刀彫による獅子狛犬像が安置されており、現在ではこの作品をかたどった「狛犬魔除け守り」も授与されています。また、宝物殿には平櫛田中作の大楠公像が収蔵されています。
楠木正成公を深く敬慕し、「嗚呼忠臣楠子之墓」を建立した徳川光圀公。その光圀公を、近代日本を代表する彫刻家・平櫛田中が形にしたのがこの銅像です。すぐそばにある楠公墓碑とあわせて見ることで、江戸時代に光圀公から始まった楠公崇敬と、それが後世まで受け継がれてきた歴史をより深く感じることができます。
平櫛田中現代美術家名鑑 昭和29年度改正版(wikipedia パブリック・ドメイン)

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