方災除けで有名なほうちがいさん | 方違神社 - 神社ファン

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方違神社

ほうちがいじんじゃ

大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2-2-1

方災除けで有名なほうちがいさん

更新日:2025年6月26日

方災除けならココ

方違神社は地元では「ほうちがいさん」と呼ばれ親しまれている神社で、方災除け(方違え(かたたがえ)、地相、家相など)で有名です。引っ越しや海外旅行、転勤や新居購入などを控えている方が多く訪れる人気の神社です。
方違神社へのご参拝や絵馬やお守りなどの授与品を頂くだけでも効果がありますが、引っ越しや転職、家の新築など大きなイベントがある場合はご祈祷がおすすめです。
方違神社の御祈祷は予約不要で9:00~16:00までが受付時間です。注意して頂きたいのが、平日の9日、19日、29日は祈祷休日になります(土日祝日と大安は無休)。
また遠方など諸事情で参拝に伺えない方には郵送での通信祈祷もやっています。詳しくは方違神社へお問い合わせください。丁寧に説明して頂けます。
方災除けなどの祈祷申込

なぜ方災除けで有名なのか?

方違神社は古くから方災除けの神として篤く崇敬されてきました。
方違神社の起源は古墳時代前期、10代天皇・崇神天皇5年までさかのぼります。当時疫病が流行し、多くの民が亡くなりました。天皇が現在方違神社のある茅渟の石津原に物部大母呂隅足尼(もののべのおおもろすみのすくね)を遣わせ、須佐之男神を祀らせたところ疫病は終息し、五穀豊穣となったと伝えられています。
方違宮の社号碑
その後14代天皇の后、神功皇后が朝鮮半島出兵・平定した際、凱旋途中で忍熊王(おしくまのおう)が叛乱を起こしました。三筒男神の教えを受けた皇后は、方違神社に天神地祇をお祀りします。故事に倣い八十平瓮(やそひらか)を作り、菰の葉で埴土を包んだ粽を納め方災除けを祈願したところ、反乱を征し見事勝利しました。15代天皇である応神天皇が須佐之男神・三筒男神・神功皇后を合祀し、方違大依羅神社として崇拝したといわれています。
方違宮縁起
この地は、摂津・河内・和泉と三国の境界であり、どの国にも属さない「方位の無い清地」と考えられていました。「三国山」や「三国丘」と称された地名は、「三国山こずえに住まふむささびの鳥まつがごとわれ待ち痩せむ」と「万葉集」にも記されています。清地の御土と、菰の葉で作られた粽は悪い方位を祓うといわれており、人馬往来の要所となった奈良時代や、熊野詣の参詣路となった平安時代には、多くの人が訪れ、旅の安全を祈願したと伝えられています。
三國山と刻まれた井戸
また朝廷や武家からも篤く信仰されていました。804(延暦23)年には空海が唐へ向かう前に安全祈願を、1180(安徳4)年には平清盛が安徳天皇の福原遷都の成就祈願を、1615(元和元)年には徳川家康が大阪夏の陣の武運長久を祈願したことが記録に残されています。さらに1868(明治元)年、東京遷都の際には、17日間の祈祷の命を受けています。
三國丘と刻まれた巨石

御祭神は方違幸大神

方違神社の御祭神は方違幸大神(かたたがえさちおおかみ)です。
方違幸大神は総称で八十天万魂神(やそあまよろずみたまのかみ/天神地祇)、素盞嗚尊(すさのおのみことト)、三筒男大神(みつつおのおおかみ/住吉大神)、息気長足姫命(おきながたらしひめのみこと/神功皇后)の4柱をまとめて方違幸大神と呼んでいます。
方違神社社殿

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