上末社 | 伏見稲荷大社 - 神社ファン

有名度

横綱

伏見稲荷大社

ふしみいなりたいしゃ

京都府京都市伏見区深草藪之内町68

上末社

更新日:2025年5月19日

すべて重要文化財の上末社

権殿の後ろの石段を登ると4つ並ぶ末社があり、すべて国の重要文化財に指定されています。向かって左から長者社、荷田社、五社相殿、両宮社です。
上末社 社殿一覧

長者社

長者社(ちょうじゃしゃ)は伏見稲荷大社の末社で、御祭神は秦氏(当社旧社家)の祖神です。社殿は一間社流見世棚造、檜皮葺です。
長者社の社殿は、明応遷宮記録に境内社としてすでに現れており、天正の社頭図に本殿の北方に「長者社 西向」と描かれていました。社殿の化粧部材は、ほとんどが江戸時代初期の材が残されており、元禄7年(1694年)以前からある建物を現在地に遷したものと考えられています。
「山城国風土記」の逸文に
《伊侶具の秦公、稻粱(いね)を積みて富み裕(さきは)ひき。乃ち、餅を用ちて的と為ししかば、白き鳥と化成りて飛び翔りて山の峯に居り、伊禰奈利(いねなり)生ひき。遂に社の名と為しき》
『秦氏族「伊侶具」は、稲作で裕福だった。ところが餅を使って的として矢を射ったところ、餅が白鳥に代わって飛び立ち、この山に降りて稲が成ったのでこれを社名とした』
とあり、秦氏は伏見稲荷大社とふかい関係があり祀られたと想像されます。
長者社 社殿

荷田社

荷田社(かだしゃ)は伏見稲荷大社の末社で、御祭神は荷田氏(当社旧社家)の祖神です。社殿は一間社流見世棚造、檜皮葺です。
この社殿は、安元2年(1176年)、荷田氏の祖・荷大夫没後、「稲荷山の命婦社の南に社を造り霊魂を祀る」とあり、
「明応遷宮記録」(1499年)には、「命婦ノ南ニハ荷大夫明神在之云々」と記されているそうです。元禄7年に現在の地に再興されました。
伏見稲荷大社の創建には秦氏が深く関わりがありますが、荷田氏は秦氏の血族で、荷田宿禰の子孫とされています。
荷田社 社殿

五社相殿

五社相殿(ごしゃいどの)は伏見稲荷大社の末社で、社殿は五間社流見世棚造の檜皮葺で古くは、1459年(長禄3年)の記録に現れる若王子社を始め、境内に祀られていた各社を境内に祀られていた各社を、1694年(元禄7年)に現地へと遷し、五社相殿に奉祀したものです。
五社相殿 社殿
向かって左から
蛭子社:祭神は事代主神
猛尾社:祭神は須佐之男命
若王子社:祭神は若王子大神
日吉社:大山咋神
八幡宮社:応神天皇
五社相殿 扁額
が祀られています。

両宮社

両宮社(りょうぐうしゃ)は伏見稲荷大社の末社で、御祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)、豊受皇大神(とようけすめおおかみ)です。社殿は二間社切妻見世棚造、檜皮葺です。
両宮社 社殿
上末社の中でも両宮社だけ社殿の色も違い、千木・鰹木も見られ、祭神からも伊勢神宮からの勧請かと思われます。
1589年(天正17年)の社頭図に「伊勢雨宮南向再興」とあり、神明造の社が描かれていました。1694年(元禄7年)に現在の地に社殿が再興されました。
両宮社 扁額

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