有名度
横綱伏見稲荷大社
ふしみいなりたいしゃ
京都府京都市伏見区深草藪之内町68
上末社
更新日:2026年7月17日
4社すべてが国の重要文化財に指定された貴重な社殿群
権殿の裏手にある石段を上ると、4棟の社殿が並んでいます。これらは総称して「上末社(かみまっしゃ)」と呼ばれ、向かって左から長者社、荷田社、五社相殿、両宮社が鎮座しています。いずれも伏見稲荷大社の末社ですが、4棟すべてが国の重要文化財に指定されている全国的にも珍しい社殿群です。本殿や楼門に目が向きがちですが、伏見稲荷大社の歴史や信仰の変遷を知るうえで欠かせない建築群となっています。
長者社
長者社(ちょうじゃしゃ)は、伏見稲荷大社の末社で、御祭神は伏見稲荷大社の創建に深く関わった秦氏(当社旧社家)の祖神です。社殿は一間社流見世棚造、檜皮葺となっています。『明応遷宮記』にはすでに境内社として記されており、天正年間の社頭図にも本殿北側に「長者社 西向」と描かれています。現在の社殿は江戸時代初期の部材を多く残しており、1694年(元禄7年)以前の建物を現在地へ移築したものと考えられています。
『山城国風土記』逸文には、秦氏の祖・伊侶具(いろぐ)が餅を的にして矢を射たところ、餅が白鳥となって飛び立ち、降り立った山に稲が実ったことから「伊禰奈利(いねなり)」の名が生まれたという伝承が記されています。この伝説は伏見稲荷大社の創建伝承としても知られ、秦氏と稲荷信仰との深い関わりを今に伝えています。

荷田社
荷田社(かだしゃ)は、伏見稲荷大社の末社で、御祭神は荷田氏(当社旧社家)の祖神です。社殿は一間社流見世棚造、檜皮葺です。安元2年(1176年)、荷田氏の祖である荷大夫の没後、「稲荷山命婦社の南に社を建て、その霊を祀った」と伝えられています。また、『明応遷宮記』にも「命婦ノ南ニハ荷大夫明神在之」と記されており、中世にはすでに信仰されていたことが分かります。現在の社殿は1694年(元禄7年)に現在地へ再興されました。
荷田氏は秦氏の一族とされ、代々伏見稲荷大社の神職を務めた旧社家として知られています。伏見稲荷大社の祭祀を長く支えてきた一族を祀る重要な社です。

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五社相殿
五社相殿(ごしゃあいどの)は、伏見稲荷大社の末社で、社殿は五間社流見世棚造、檜皮葺です。1459年(長禄3年)の記録に見える若王子社をはじめ、境内各所に鎮座していた五つの境内社を1694年(元禄7年)に現在地へ遷し、一つの社殿にまとめて祀ったものです。そのため「五社相殿」と呼ばれています。

* 蛭子社(祭神:事代主神)
* 猛尾社(祭神:須佐之男命)
* 若王子社(祭神:若王子大神)
* 日吉社(祭神:大山咋神)
* 八幡宮社(祭神:応神天皇)
の五社が祀られています。
それぞれ異なる由緒を持つ境内社を一つの社殿で祀る、伏見稲荷大社ならではの社殿構成となっています。

両宮社
両宮社(りょうぐうしゃ)は、伏見稲荷大社の末社で、御祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)と豊受皇大神(とようけすめおおかみ)です。社殿は二間社切妻見世棚造、檜皮葺となっています。
天正17年(1589年)の社頭図には「伊勢両宮南向再興」と記され、神明造の社殿が描かれています。現在の社殿は1694年(元禄7年)に現在地で再興されたものです。

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