稲荷山とお塚と七神蹟 | 伏見稲荷大社 - 神社ファン

有名度

横綱

伏見稲荷大社

ふしみいなりたいしゃ

京都府京都市伏見区深草藪之内町68

稲荷山とお塚と七神蹟

更新日:2025年5月19日

稲荷山

稲荷山は京都の東山三十六峯の最南端の山で、標高は233mです。古くから三ケ峰と呼ばれてきたように3つの峰(一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰)が連なります。また三ノ峰と二ノ峰の中程に間の峰、そして三ノ峰の北方に荒神峰があります。稲荷山全体が神域とされています。
稲荷山

七神蹟

神蹟(しんせき)はかつて稲荷山に神様が降臨したとても神聖な場所です。以前は社や祠が建っていて、丁寧にお祀りされていましたが、応仁の乱で全て焼失してしまいました。長い間再建されませんでした。明治時代になり、神蹟の場所を特定し、親塚と社殿が建てられました。
稲荷山の神蹟は7つあり、
一ノ峰(上之社神蹟)二ノ峰(中之社神蹟)、三ノ峰(下之社神蹟)、荒神峰(田中社神蹟)、間ノ峰(荷田社神蹟)、御膳谷奉拝所、御劔社(長者社神蹟)です。七神蹟とよばれます。七神蹟に祀られている神様は本殿に祀られている神様と名が異なりますが、古くから伝わっている名前で祀っていて、違いの理由は不明です。
七神蹟

お塚

伏見稲荷大社のある稲荷山には、お塚(つか)とよばれる、祠や石碑が多く見られます。伏見稲荷大社では「お塚とは稲荷大神様に別名をつけて信仰する人々が石にそのお名前を刻んで、お山に奉納したもの」と説明しています。
現在1万近いお塚があると言われていますが、お塚ができたのは明治以降と言われています。きっかけは明治政府から神仏分離の政策です。それまである程度自由に書くことができた神号が、すべて統一されることとなり、伏見稲荷大社では神号が稲荷神に統一されました。また多くの神社は再編され、神社自体の数も減りました。
こちらの出来事をわかりやすく例で説明すると、
ある村には伏見稲荷大社から分霊された○○神や■■神を祀った複数の神社がありましたが、明治政府の神仏分離政策のため、神社が一つにまとめられ、〇〇神や■■神は全て稲荷大神の名に変わった
ということになります。
○○神や■■神は元をたどれば稲荷神になりますが、それまで信仰してきた神様の名がいきなり「稲荷大神」になることに抵抗がある人たちが、今まで通り自分達の神様を信仰するために、稲荷山にあくまで私的な神様として祀ったのが「お塚」になります。
伏見稲荷大社の記録によると、明治35年のお塚の数は663基ですが、昭和42年には7762基と10倍以上に増加しています。
これらのお塚は神社の摂社や末社ではありません。あくまで個人のお社になります。
稲荷山には1万基以上あるとされています。鳥居で有名な伏見稲荷大社ですが、じつはお塚の方が、数が多いかもしれません。このお塚は各七神蹟の周りを取り囲むように存在しています。
お塚

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