楼門 | 伏見稲荷大社 - 神社ファン

有名度

横綱

伏見稲荷大社

ふしみいなりたいしゃ

京都府京都市伏見区深草藪之内町68

😞 🙁 😐 🙂 😄

楼門

更新日:2026年7月27日

重要文化財に指定されている楼門

一の鳥居から表参道を進むと、真正面に朱色が鮮やかな楼門が姿を現します。伏見稲荷大社を代表する建造物の一つで、国の重要文化財に指定されています。
楼門
楼門は二階建て、梁間三間の堂々とした造りで、鮮やかな朱色を基調とした美しい姿が特徴です。屋根は入母屋造、檜皮葺で、優美な曲線を描く屋根と朱塗りの柱が調和し、参拝者を迎える壮麗な門となっています。
楼門の随身像
古くから向かって左が上座だったことから、左側に位の高い人が座ることが多く、左大臣は年配、右大臣は若手となっています。狛犬や白狐と共に阿吽の関係も同じで、向かって左側が口を開けている「阿形」、右側が口を閉じている「吽形」です。
伏見稲荷大社 階段下からみる楼門
左右には随神像が安置され、右側には右大臣、左側には左大臣の神像が置かれています。随神は神域を守護する神として門の左右に配置され、邪気の侵入を防ぎ、参拝者を迎える役割を担っています。平安時代には左大臣が右大臣より上位とされていたことから、向かって左側には年配の左大臣、右側には若い右大臣が配されているのも見どころです。
スポンサーリンク

豊臣秀吉が寄進した楼門

楼門の創建時期は明らかではありませんが、応仁の乱以前には存在していたと伝えられています。応仁の乱で焼失した後、1589年(天正17年)に豊臣秀吉が母・大政所の病気平癒を祈願し、一万石を寄進して現在の楼門を再建したと伝えられています。
秀吉が奉納した祈願文は現在も伏見稲荷大社に残されており、「三年の延命がかなわなければ二年、それもかなわなければ三十日だけでも延命してほしい」という切実な願いが記されています。その願いが通じたのか、大政所はその後約4年間生きたと伝えられ、この逸話は秀吉の母への深い孝行心を伝える話として知られています。
楼門裏側
その後も徳川家の保護を受け、1694年(元禄7年)、徳川綱吉の時代には大規模な修理が行われました。この際、楼門は現在の位置へ約10メートル西へ移され、東西の回廊も増築されたと伝えられています。現在の姿は1882年(明治15年)の大修理を経て受け継がれているものです。
楼門から見える二の鳥居と一の鳥居
現在でも楼門は伏見稲荷大社を代表する撮影スポットとして親しまれています。特に楼門から振り返ると、第二鳥居、第一鳥居が一直線に並び、参道の先まで見渡せる美しい景観が広がります。朱色の鳥居が連なる壮観な眺めは、伏見稲荷大社を象徴する風景の一つで、写真撮影を楽しむ参拝者にも人気があります。

この記事を0人の方がいいねといっています



スポンサーリンク

伏見稲荷大社の人気記事