鐘楼 | 多賀大社 - 神社ファン

有名度

関脇

多賀大社

たがたいしゃ

滋賀県犬上郡多賀町多賀604

鐘楼

更新日:2026年1月31日

神仏習合時代を伝える梵鐘

文庫の近くに、袴腰付きの鐘楼が建っています。ここに吊るされている梵鐘は、1555年(天文24年)に不動院の初代別当・祐尊の勧進により鋳造され、奉納されました。
総高209.2センチ、鐘身156.2センチ、口径127センチで、この時代以前のものとしては全国でも5指に入る大きさです。現存する1555年以前のものは全国に約380個ありますが、大きさでは4番目に位置します。鐘には多賀大社と関係の深い土豪たち122名の名が刻まれており、その中には佐々木賢誉(六角義賢)や、当時わずか11歳だった浅井猿夜叉(後の浅井長政)の名も見られます。
左側から見た鐘楼
この鐘は、1536年(天文5年)から1563年(永禄6年)にかけて室町幕府、佐々木六角氏、浅井氏らの奉賛により行われた社殿の大規模な修造事業の一環として鋳造されました。
特筆すべきは、当時は土豪たちの間に敵・味方といった対立関係があったものの、多賀大社への寄進では利害を超えて連名で名を連ねていることです。
興味深いことに、浅井長政は奉納から5年後の1560年(永禄3年)、15歳の若さで軍を率い、野良田の戦いで鐘に名を連ねていた六角義賢を破ることになります。
見上げた鐘楼
その後、明治の神仏分離により、境内にあった仏像や寺院の門などは町内の寺院に移されましたが、この鐘はあまりの大きさから引き取り手がなかったとみられます。滋賀県指定有形文化財に指定された、神仏習合時代を伝える貴重な遺構です。
右側から見た鐘楼

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