第一鳥居・第二鳥居・社号標 | 二見興玉神社 - 神社ファン

有名度

関脇

二見興玉神社

ふたみおきたまじんじゃ

三重県伊勢市二見町江575

第一鳥居・第二鳥居・社号標

更新日:2026年6月26日

さざれ石・石碑・奉献大灯籠

二見興玉神社の参道入口には、1926年(大正15年)に大阪のせんば神榮講によって奉献された第一鳥居が建っています。講とは同じ信仰を持つ人々が組織した参拝集団のことで、江戸時代から近代にかけて伊勢神宮への参宮を目的とした伊勢講が全国各地で活動していました。大阪の商人たちの間でも伊勢信仰は盛んであり、二見浦は伊勢神宮参拝前に身を清める浜参宮の地として厚く崇敬されていました。
二見興玉神社 第一鳥居
第一鳥居をくぐると、国歌「君が代」にも歌われるさざれ石があります。さざれ石は小石が長い年月をかけて結びつき、一つの岩となったもので、長寿や繁栄の象徴として親しまれてきました。参道入口に置かれたさざれ石は、参拝者を迎える縁起物としても知られています。
二見興玉神社 さざれ石
参道沿いには歌人・中村九一の石碑や、昭和を代表する俳人である山口誓子の石碑が建っています。古くから景勝地として知られた二見浦には多くの文人墨客が訪れ、歌や句を残してきました。これらの石碑は、夫婦岩をはじめとする二見浦の風景が人々を魅了してきた歴史を伝えています。
二見興玉神社 中村九一・山口誓子の石碑
また、京都の花街として知られる先斗町の芸舞妓らで組織された先斗町丸寿組が奉献した大灯籠も建っています。遠く京都から奉献された灯籠は、二見興玉神社が伊勢地方のみならず広い地域から信仰を集めてきたことを物語る奉献物の一つです。
二見興玉神社 大灯籠
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第一鳥居の近くには、1932年(昭和7年)に奉献された社号標も建っています。社号標は二見浦旅客索道株式会社と東洋空中索道製作所によって奉献されたもので、揮毫は東宮侍従長や皇太后宮大夫を歴任した従二位勲一等子爵・入江為守によるものです。入江為守は明治から昭和前期にかけて宮中で重職を務めた人物であり、その筆による社号標は二見興玉神社の歴史を伝える貴重な文化的遺産となっています。
二見興玉神社 社号標
参道を進んだ先には、1955年(昭和30年)11月に元宇治山田市長の北岡善之助氏によって奉献された第二鳥居が建っています。北岡氏は宇治山田商工会議所の設立にも関わり、地域の発展に尽力した人物として知られています。
二見興玉神社 第二鳥居
第一鳥居から第二鳥居へ続く参道には、鳥居だけでなく、さざれ石や歌碑、句碑、灯籠、社号標など多くの奉献物が並んでいます。それらは二見興玉神社が伊勢参宮の玄関口として全国の人々から崇敬を集めてきた歴史を今に伝えており、参道を歩くだけでも神社の歩みと信仰の広がりを感じることができます。

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