羽豆神社 愛知県知多郡南知多町大字師崎字明神山 - 神社ファン

有名度

前頭

羽豆神社

はずじんじゃ

愛知県知多郡南知多町大字師崎字明神山2番

愛知県知多郡南知多町大字師崎字明神山2番

鳥居と拝殿

Umako(wikipedia CC0)

かんたんご利益

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(1柱)」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

羽豆神社の歴史は中世にさかのぼる。元亨年中の1312年から1313年にかけて、熱田大宮司であった摂津守親昌が羽豆岬に羽豆崎城を築いたことは、この地の歴史における大きな節目とされる。その後、親昌の猶子である昌能が1355年(文和4年)に修復と寄進を行い、社地は引き続き重要な場所として扱われてきた。
14世紀後半には朝廷との関わりも確認され、1370年(応安3年)には宗良親王より御奉幣を受けている。さらに1389年(康応元年)には城主蜂屋光経による造営が行われ、1434年(永享6年)には加賀守盛貞が造営を担ったと伝えられている。こうした記録から、羽豆神社は中世を通じて歴代の領主や有力者の庇護を受けながら整備が重ねられてきたことがうかがえる。
戦国時代に入ると、1500年(明応9年)に田原城主戸田憲光が天神山に天神山城を築き、羽豆岬一帯は軍事的にも重要な拠点となった。しかし1590年(天正18年)、豊臣秀吉の検地によって所領が没収され、これを機に中世的な支配体制は大きく転換することとなる。
江戸時代に入ると、1601年(慶長6年)に領主千賀重親による造営が行われ、神社は地域の鎮守として再び整えられた。この頃には「幡頭崎八幡宮」と称されていたことが知られている。その後、1641年(寛永18年)に社殿が火災によって焼失するが、1760年(宝暦10年)に再造営され、信仰は途切れることなく受け継がれた。
明治時代に入ると、1872年(明治5年)9月に郷社に指定され、近代社格制度のもとで公的な位置づけを得るに至った。
羽豆神社は、知多半島の海に突き出す羽豆岬一帯を境内に含み、岬の地形と森、信仰が一体となった景観を今に伝えている。その象徴が「羽豆神社の社叢」であり、1934年に国の天然記念物に指定された。面積は12,980平方メートルを数え、ウバメガシを中心とする暖地性常緑樹林が広がる。海岸から崖地、社叢へと連なる植生は、この地の自然環境を特徴づける存在である。1959年(昭和34年)の伊勢湾台風では大木の多くが倒れる被害を受けたが、その後はウバメガシを中心に回復し、現在ではイブキやトベラ、ヤブニッケイなどが共存する林相が形成されている。
また、応永15年(1408年)4月には、三河守護であった一色満範(道範)によって「幡頭崎大明神」と記された羽豆神社へ写経が寄進された。紺紙金字妙法蓮花経8巻と心阿弥陀経1巻、計9巻からなるこの写経は、愛知県指定文化財として昭和51年8月2日に指定され、長く神社に伝えられてきた貴重な資料である。
  • 郷社
  • 式内社(不明)
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神社詳細

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E8%B1%86%E7%A5%9E%E7%A4%BE