本土神社 - 神社ファン

有名度

前頭

本土神社

ほんどじんじゃ

岐阜県多治見市小田町1丁目20番地

岐阜県多治見市小田町1丁目20番地

拝殿

Jerry fish tkc(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

  • 安全
  • 厄除
  • 家庭
本土神社には

「安全系」「厄除・開運系」「家庭系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

交通安全 災難除け 方位除け 夫婦円満

御祭神

猿田彦命 さだひこのみこと
庭津火命 にわつひのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

白髭・猿田彦系」 「不明(1柱)」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

本土神社は岐阜県多治見市に鎮座する神社。御祭神は猿田彦命、庭津火命の2柱をまつる。
社格は旧郷社。
本土神社の創建年は詳らかではないが、社伝では長元3年(1030年)を起源とする。平安時代後期、当地は伊勢神宮領である池田御厨(いけだのみくりや)に属しており、池田御厨の住民が伊勢神宮への貢物献納にあたり、伊勢神宮内宮近くに鎮座する猿田彦神社から猿田彦大神の御分霊を勧請し、産土神として奉斎したことに始まると伝えられている。
中世に入ると、鎌倉時代末期に美濃国守護の土岐頼貞がこの地に居館を構え、本土神社を鬼門鎮護および武門守護の神として崇敬した。社殿改築の勧進や祭礼奉行を通じて一族を率いて奉仕し、社頭は賑わいを見せたとされる。
元徳2年(1330年)には、長瀬郷の領主で永保寺の檀越であった長瀬入道沙彌道任(源頼氏)が社殿を修復したことを示す棟札が残されている。棟札には「奉修覆 本土大明神 御殿一宇」と記されており、本土神社がこの年以前から地域の鎮守として確立していたことが確認できる。
さらに文安6年(1449年)の棟札には社殿の新造が記され、大工を内津の坂上六郎右衛門が務め、221人半の手間をかけて造営されたこと、遷宮導師を内津妙見の法印が担ったことなどが詳しく記録されている。文明9年(1477年)および永正8年(1511年)の棟札も社殿造営に関するもので、西尾右京亮や総検校橘氏をはじめ、長瀬村周辺の有力者が大檀那・願主として名を連ねている。
近世に入ると、元禄2年(1689年)に土岐川河岸の堤防が決壊し、別当寺であった長福寺の堂宇が流失した。その後、長福寺は「當村の鎮守 本土大明神の別當」として本土神社西側の現在地に再建され、明治元年(1868年)の神仏分離令が布告されるまで存続した。
江戸時代を通じて、氏子崇敬者は本土神社を地主神・方除神・厄除招福の神として信仰し、社殿の修復や祭礼の執行を一貫して担ってきた。
境内には宝篋印塔が残されており、多治見市指定文化財に指定されている。
  • 郷社
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神社詳細

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9C%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE
岐阜県神社庁
https://www.gifu-jinjacho.jp/