伊波乃西神社 - 神社ファン

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伊波乃西神社

いわのにしじんじゃ

岐阜県岐阜市岩田西3丁目421番地

岐阜県岐阜市岩田西3丁目421番地

鳥居と参道

Monami(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

御祭神

日子坐王 ひこにますおう
八瓜入日子王 やつりいりひこのみこ

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(1柱)」

です。
他に 「不明(0柱)」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

伊波乃西神社は岐阜県岐阜市に鎮座する神社。御祭神は日子坐王、八瓜入日子王の2柱をまつる。
社格は式内社であり、旧郷社。
勧請の年月は明らかではないが、伊波乃西神社の由緒は、祭神である日子坐王の事績と深く結びついている。『古事記』によれば、崇神天皇の御代、日子坐王は旦波国へ派遣され、玖賀耳の御笠(クガミミノミカサ)を討ったとされ、この功績は史書に記された最初期の武功の一つとして知られる。その後、日子坐王は東国経営という大きな役割を担い、美濃国各務郡岩田の地へ下向したと伝えられる。この地では、山林の整備や水の管理に力を注ぎ、農耕の奨励や地域の産業振興に尽くしたと語り継がれている。
八瓜入日子王は日子坐王の皇子にあたり、神大根王(カムオオネノミコ)とも称される人物である。父の後を継ぎ、同じく地域の開発や統治に関わった存在として伝承に残り、伊波乃西神社では父子二柱を並び祀ることで、この地の開拓史と信仰の連なりを今に伝えている。
日子坐王の薨去後、その御陵は清水山の中腹に築かれたとされ、神社の西側に隣接する場所に伝承されてきた。明治8年(1875年)、宮内省による調査によって「日子坐命墓」が治定されたことは、神社の歴史における大きな転機となった。この治定により陵墓は宮内省陵墓寮の管轄となり、それに伴って伊波乃西神社は現在の鎮座地へ遷座したとされる。伊波乃西神社の歩みは、古代の英雄伝承と、近代における陵墓制度の確立という二つの時代を重ね合わせるかのように展開してきたのである。
祭事に目を向けると、毎年3月21日には御陵墓祭が斎行され、日子坐王の御霊を偲ぶ神事が行われている。また、例祭は4月5日に定められており、地域の人々にとって春の節目を告げる重要な行事となっている。さらに、毎年10月11日には滋賀県木之本町から参拝団が訪れる習わしがあるとも伝えられ、伊波乃西神社の信仰が岐阜の地にとどまらず、他地域とも結びついてきたことを物語っている。
  • 郷社
  • 式内社(小)
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%B3%A2%E4%B9%83%E8%A5%BF%E7%A5%9E%E7%A4%BE
岐阜県神社庁
https://www.gifu-jinjacho.jp/