青塚古墳 | 諏訪大社 下社秋宮 - 神社ファン

有名度

大関

諏訪大社 下社秋宮

すわたいしゃ しもしゃあきみや

長野県諏訪郡下諏訪町5828

青塚古墳

更新日:2025年7月7日

諏訪地方唯一の古墳

青塚古墳は、諏訪大社の社有地にある前方後円墳です。秋宮から5分ほど歩いた場所に位置しており、周りは住宅地に囲まれているため見落とさないように注意してください。諏訪地方唯一の古墳であり、1965年に長野県の指定史跡に指定されました。
下諏訪青塚古墳 全景Saigen Jiro(Wikipedia CC0)
現在の墳形は周囲の開発によって削られ形が崩れており、その姿はまるで二基の円墳が並んでいるようにも見えます。
古墳の全長は約57メートル、後円部径は24メートル、高さは8.1メートルですが、東側の削られた部分を復元すれば径34メートルほどの大きさとなると推定されます。前方部幅は35メートル、高さ7.7メートルで、こちらも復元すると40メートルほどになるそうです。西側のくびれた部分には下社の境外摂社である青塚社が鎮座しており、古墳の上に神社が鎮座している状況は大変珍しいと言えます。
青塚社Saigen Jiro(Wikipedia CC0)
石室は後円部の南西側に、半分以上が露出した状態で開口しています。全長約5.5メートル、奥壁幅2.15メートルの大きさで、安山岩の自然石で積みあげられており、天井には大きな平石が使われています。玄室に通ずる羨道(せんどう)部は残念なことに破壊されており、今ではその姿を確認することはできません。
石室https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E9%9D%(Wikipedia Saigen Jiro)
江戸時代にはすでに石室が暴かれていたと言われており、嘉永の頃の記録には「背丈4尺(120cm)の武人埴輪を発見し、再び埋めもどした」と残されていたそうです。しかし、現在その武人埴輪は発見されておりません。
内部の調査はされておらず、不明な部分が多く残されている古墳です。出土品もはっきりしておりませんが、墳丘の形態や石室、出土した埴輪の特色から7世紀末から8世紀に造られたものだと考えられています。
埋葬された人はかなりの有力者だと推測されており、一説によると下社に関係する人の墳墓だとも言われているそうです。別名王塚とも呼ばれています。

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