有名度
前頭足羽山招魂社
あすわやましょうこんしゃ
福井県福井市山奥町60-1
福井県福井市山奥町60-1

かんたんご利益
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(2柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
足羽山招魂社は福井県福井市に鎮座する神社。御祭神は福井出身将兵戦没者之霊、旧福井藩士卒之霊計8092柱をまつる。
足羽山招魂社の起源は、幕末・明治初期にさかのぼる。元治元年(1864年)7月19日、京都で起きた禁門の変で戦死した福井藩士7名および後の戊辰戦争で戦死した福井藩士12名を慰霊するため、明治3年(1870年)9月にこの地に墓碑が建てられ、「招魂場」と呼ばれ福井藩軍務寮が管理していた。その後、明治6年(1873年)7月、当時の藩主であった松平春嶽らによって社殿が造営され、明治6年9月12日に19柱を合祀して正式に「招魂社」と称された。その後、明治6年(1873年)7月、当時の藩主であった松平春嶽らによって社殿が造営され、明治6年9月12日に19柱を合祀して正式に「招魂社」と称された。時代が移るにつれ、西南戦争、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争(第二次世界大戦)などで戦没した福井出身の将兵や旧福井藩士の霊も順次合祀され、最終的にその数は8,306柱に至った。昭和36年(1961年)12月に、名称を「足羽山招魂社」と改めた。このように足羽山招魂社は、福井藩や福井出身兵士の慰霊と鎮魂を目的として、明治初期の混乱期から現代に至るまで長きにわたりその務めを果たしてきた神社である。
足羽山招魂社の起源は、幕末・明治初期にさかのぼる。元治元年(1864年)7月19日、京都で起きた禁門の変で戦死した福井藩士7名および後の戊辰戦争で戦死した福井藩士12名を慰霊するため、明治3年(1870年)9月にこの地に墓碑が建てられ、「招魂場」と呼ばれ福井藩軍務寮が管理していた。その後、明治6年(1873年)7月、当時の藩主であった松平春嶽らによって社殿が造営され、明治6年9月12日に19柱を合祀して正式に「招魂社」と称された。その後、明治6年(1873年)7月、当時の藩主であった松平春嶽らによって社殿が造営され、明治6年9月12日に19柱を合祀して正式に「招魂社」と称された。時代が移るにつれ、西南戦争、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争(第二次世界大戦)などで戦没した福井出身の将兵や旧福井藩士の霊も順次合祀され、最終的にその数は8,306柱に至った。昭和36年(1961年)12月に、名称を「足羽山招魂社」と改めた。このように足羽山招魂社は、福井藩や福井出身兵士の慰霊と鎮魂を目的として、明治初期の混乱期から現代に至るまで長きにわたりその務めを果たしてきた神社である。
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神社詳細
公式URL
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建築
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神紋
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出典
公式サイト
http://www.asuwajinja.jp/syoukonsya.htm
福井県神社庁
https://www.jinja-fukui.jp/
http://www.asuwajinja.jp/syoukonsya.htm
福井県神社庁
https://www.jinja-fukui.jp/
