菅原神社・奥津島神社・楊田神社 | 気多大社 - 神社ファン

有名度

小結

気多大社

けたたいしゃ

石川県羽咋市寺家町ク1

😞 🙁 😐 🙂 😄

菅原神社・奥津島神社・楊田神社

更新日:2026年9月18日

学問と書道の神・菅原道真公を祀る社

気多大社の境内に鎮座する菅原神社は、菅原道真公を御祭神として祀る境内社です。道真公は平安時代を代表する学者・政治家で、優れた漢詩人・書家としても知られています。幼い頃から学問に秀で、文章博士などを務めたのち、宇多天皇・醍醐天皇のもとで要職を歴任しました。しかし政争によって大宰府へ左遷され、903年(延喜3)2月25日にその地で亡くなりました。没後、道真公を祀る天神信仰が全国へ広がり、特に学問の神として篤く崇敬されるようになりました。
気多大社 菅原神社 社号標と鳥居
気多大社の菅原神社でも、学業成就や受験合格のご利益をいただけるとされています。また、道真公が書に優れていたことから書道上達・芸能上達、さらに厄除けの神としても信仰されています。
学生や受験生はもちろん、資格試験や習い事など、学びや技芸の上達を願う人がお参りしたい境内社です。
例祭は毎年2月25日に斎行されています。この日は道真公の命日にあたり、全国の天満宮や天神社でも道真公にゆかりの深い日として祭典が行われています。
気多大社 菅原神社 社殿
スポンサーリンク

海上安全を守る宗像三女神の一柱を祀る社

奥津島神社は、気多大社の境内に鎮座する小さな石造りの社です。石積みの基壇の上に石祠が建ち、注連縄が掛けられています。
御祭神は奥津島姫命(おきつしまひめのみこと)。天照大御神と素戔嗚尊の誓約によって誕生した宗像三女神の一柱で、古くから海上交通を守護する神として信仰されてきました。
奥津島姫命は、天照大御神と素戔嗚尊による誓約の神話で誕生した宗像三女神の一柱です。『古事記』では多紀理毘売命、『日本書紀』では田心姫などの名でも登場し、宗像三女神は古くから海上交通を守護する神々として信仰されてきました。
宗像三女神は、現在の福岡県に鎮座する宗像大社を代表的な信仰の中心として、玄界灘を行き交う人々から篤く崇敬されました。航海の安全を守る信仰は各地へ広がり、交通安全や道中安全の神としても信仰されています。
気多大社 奥津島神社 石祠
気多大社も日本海に近い場所に鎮座し、古くから能登と海との深い関わりのなかで信仰されてきた神社です。その境内に海上守護の神である奥津島姫命が祀られていることも、海に面した気多大社らしい境内社のひとつといえます。
ご利益は航海安全・交通安全・商売繁盛など。例祭は毎年1月11日に斎行されています。

社殿を持たず鳥居が立つ謎の末社

楊田神社(やなぎだじんじゃ)は、気多大社の末社の一つです。ほかの境内社とは少し異なり、社殿は見当たらず、現地には素木の鳥居が立っています。
現在、気多大社では御祭神を火の神・軻遇突智命(かぐつちのみこと)としています。『古事記』や『日本書紀』の神話では、伊弉諾尊と伊弉冉尊の間に生まれた火の神として登場します。火は人々の生活に欠かせない一方で災害をもたらす存在でもあることから、楊田神社では火災除けをはじめ、土地・鉱業・温泉を守護する神として信仰されています。一方、楊田神社については古い資料によって祭神の記載が異なり、大己貴命の荒御魂を祀るとする伝承も残されています。
「楊田」という名称そのものも古く、現在の羽咋市柳田町は中世の文書では「楊田」と記されていました。1499年(明応8)の気多神社文書にもその名が登場し、この地域には気多大社の免田が置かれていました。また、気多大社の年中行事を分担した「楊田宮司」という社務職も存在しており、楊田と気多大社には古くから深い関係があったことがわかります。
鳥居の先に社殿がないことから、入らずの森に鎮座する奥宮の遥拝所ではないかとする説もあります。ただし、気多大社の公式な案内では楊田神社を末社として紹介しており、鳥居を奥宮遥拝所とする説明は確認できません。
現在でも楊田神社の例祭は毎年3月3日に斎行されています。社殿を持たず、祭神についても異なる伝承を残す楊田神社は、気多大社の境内社のなかでも謎の多い存在です。
気多大社 楊田神社の鳥居

この記事を0人の方がいいねといっています



スポンサーリンク

気多大社の人気記事