随身門 | 気多大社 - 神社ファン

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小結

気多大社

けたたいしゃ

石川県羽咋市寺家町ク1

😞 🙁 😐 🙂 😄

随身門

更新日:2026年9月18日

旧参道に残る江戸時代の門

気多大社の随身門は、現在の境内中心部から南東へ約187m離れた飛地境内に建っています。一の鳥居と二の鳥居を結んでいた旧参道口に位置し、かつての気多大社への参詣経路を今に伝える門です。
気多大社 随身門
建立は1787年(天明7)。大工・清水次左衛門によって建てられました。この時期には、加賀藩11代藩主・前田治脩が前藩主・前田重教の命を受けて気多大社の社頭造営を行っており、現在の本殿や神庫、摂社白山神社本殿なども整えられています。随身門も、この大規模な造営によって現在まで残された建築のひとつです。
気多大社 随身門 左の随身像
建物は三間一戸の八脚門で、現在の屋根は桟瓦葺ですが、もとは柿葺でした。門の左右には金剛柵が設けられ、その内側には神域を守る随身像が安置されています。華やかな装飾を施した門ではなく、簡素な造りのなかに江戸時代の神社建築らしい趣を残しています。
随身門は建築物として残されているだけではなく、現在も気多大社の祭りと深く結びついています。毎年3月に行われる平国祭では、能登各地を巡行した騎馬神職らの一行が、帰社する際にこの随身門を駆け込むという古くからの習わしが伝えられています。
気多大社 随身門 右の随身像
また、かつては不浄の物を持って門を通る場合や、女性が月経中の場合には随身門を通らず、脇の小路から出入りしたとも伝えられています。旧参道の入口に建つ随身門が、俗界と神域を分ける境界として意識されていたことをうかがわせる伝承です。
建立から200年以上を経た随身門は、江戸時代後期の気多大社の社頭造営と、かつての参詣の姿を伝える建造物として、1982年(昭和57)に石川県指定有形文化財に指定されました。
気多大社 随身門 屋根にカバー無しSaigen Jiro (wikipedia CC0)
随現在は屋根が保護用のカバーで覆われており、以前とは外観が大きく異なっています。かつては周囲の木々のなかに瓦屋根を載せた門が静かにたたずみ、旧参道に残る歴史ある門らしい姿を見ることができました。

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