有名度
小結彌彦神社
やひこじんじゃ
新潟県西蒲原郡弥彦村大字弥彦2887番地2
拝殿・本殿・御祭神・ご利益
更新日:2026年7月6日
現在の社殿は、1912(明治45)年の火災で焼失した後、約5年の歳月をかけて1916(大正5)年に再建されました。設計を手掛けたのは、近代神社建築の泰斗として知られる東京帝国大学教授・伊東忠太博士です。再建事業には桐山平太郎や工事監督の奥本五一、飾金具の意匠を担当した大江新太郎らも携わり、当時の第一線で活躍した技術者たちによって現在の社殿群が完成しました。
さらに幣殿と本殿は石廊下によって結ばれ、一連の社殿群として機能しています。参拝者が立ち入ることはできませんが、それぞれの建物が役割を分担しながら神事を支える、近代神社建築ならではの合理的な配置を見ることができます。
再建後も焼失前と同じ流造を受け継ぎながら、屋根には耐久性に優れた銅板葺を採用しました。伝統的な社殿様式を継承しつつ、近代建築の技術も取り入れた御本殿は、弥彦神社を代表する建築となっています。
御本殿・幣殿・拝殿・石廊下・祝詞舎をはじめ、神饌所・伺候所・瑞垣・裏門は1998(平成10)年に国の登録有形文化財に指定されました。社殿群は「造形の規範となる建築」として高く評価され、新潟県内では2番目の登録有形文化財となっています。
紀元前657(神武天皇即位4)年、勅命を受けて越の国へ渡り、漁業・製塩・酒造・農耕などの技術を人々に教え、越後の国づくりの礎を築いた神様として古くから崇敬されてきました。
伊夜日子大神は国づくりの神として信仰されていることから、縁結び、商売繁盛、開運招福、家内安全、五穀豊穣など幅広いご利益で知られています。
このほか、心願成就、厄除け、学業成就、合格祈願、病気平癒、安産祈願、交通安全などの御祈祷も受けることができ、越後一宮として現在も多くの参拝者の信仰を集めています。
拝殿
拝殿は入母屋造の向拝を備えた堂々とした建物で、参拝者が神前へ祈りを捧げる中心となる社殿です。再建にあたっては、火災の教訓を踏まえて社殿の位置も見直され、旧社殿より山側へ移されました。現在は霊峰・弥彦山を背に鎮座し、自然と一体になった社殿配置となっています。
幣殿・祝詞舎・石廊下
拝殿の奥には幣殿が続き、その間には祝詞舎が設けられています。祝詞舎は神職が祝詞を奏上するための建物で、神事を執り行う重要な空間です。さらに幣殿と本殿は石廊下によって結ばれ、一連の社殿群として機能しています。参拝者が立ち入ることはできませんが、それぞれの建物が役割を分担しながら神事を支える、近代神社建築ならではの合理的な配置を見ることができます。
本殿
本殿は三間社流造向拝付の社殿です。古くから幾度も造営や修造が行われてきましたが、1912(明治45)年の火災で焼失しました。その後、新潟県内をはじめ海外からも寄せられた支援によって現在の本殿が再建されています。再建後も焼失前と同じ流造を受け継ぎながら、屋根には耐久性に優れた銅板葺を採用しました。伝統的な社殿様式を継承しつつ、近代建築の技術も取り入れた御本殿は、弥彦神社を代表する建築となっています。

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神饌所・伺候所・瑞垣・裏門
拝殿の南側には神様へ供える神饌を調える神饌所、北側には神職が詰める伺候所(宿直所)が建っています。本殿を囲む瑞垣や裏門も社殿再建にあわせて建立され、現在の境内景観を構成しています。御本殿・幣殿・拝殿・石廊下・祝詞舎をはじめ、神饌所・伺候所・瑞垣・裏門は1998(平成10)年に国の登録有形文化財に指定されました。社殿群は「造形の規範となる建築」として高く評価され、新潟県内では2番目の登録有形文化財となっています。

御祭神・ご利益
御祭神は伊夜日子大神(いやひこのおおかみ)です。天香山命(あめのかごやまのみこと)の御名も持ち、天照大御神のひ孫にあたると伝えられています。紀元前657(神武天皇即位4)年、勅命を受けて越の国へ渡り、漁業・製塩・酒造・農耕などの技術を人々に教え、越後の国づくりの礎を築いた神様として古くから崇敬されてきました。
伊夜日子大神は国づくりの神として信仰されていることから、縁結び、商売繁盛、開運招福、家内安全、五穀豊穣など幅広いご利益で知られています。
このほか、心願成就、厄除け、学業成就、合格祈願、病気平癒、安産祈願、交通安全などの御祈祷も受けることができ、越後一宮として現在も多くの参拝者の信仰を集めています。

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